東海寺(読み)トウカイジ

デジタル大辞泉 「東海寺」の意味・読み・例文・類語

とうかい‐じ【東海寺】

東京都品川区にある臨済宗大徳寺派の寺。山号は万松山。開創は寛永15年(1638)、開山は沢庵宗彭たくあんそうほう、開基は徳川家光。境内に沢庵の墓、賀茂真淵の墓がある。

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精選版 日本国語大辞典 「東海寺」の意味・読み・例文・類語

とうかい‐じ【東海寺】

東京都品川区北品川にある臨済宗大徳寺派の寺。山号は万松山。寛永一五年(一六三八)徳川家光創建。開山は沢庵宗彭。元祿七年(一六九四)焼失したが、のち徳川綱吉が再建。境内に沢庵、賀茂真淵の墓がある。

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日本歴史地名大系 「東海寺」の解説

東海寺
とうかいじ

[現在地名]品川区北品川三丁目

清徳せいとく寺の南方、目黒川左岸にある。万松山と号し、本尊釈迦如来。臨済宗大徳寺派。近世期の東海寺寺地は清徳寺寺地を含み、御殿ごてん山の南東麓および南麓一帯から目黒川右岸にまで及んで塔頭・子院が立並んでいたが、後述のように近代に入って衰退、本寺東海寺も退転して寺基・寺名はかつての塔頭玄性げんしよう院が継承した。なお近世期の寺地一帯には楓・松・桜が多く、南品川海晏かいあん寺とともに紅葉で知られる江戸名所の一つであった。

東海寺は寛永一五年(一六三八)三代将軍徳川家光により沢庵宗彭(京都大徳寺一五三世)のために建立された寺院で、翌一六年に沢庵は開山として入寺した。同年朱印地寺領五〇〇石を与えられている(寛文朱印留)。紫衣事件で寛永六年出羽国上山かみのやま(現山形県上山市)流罪になった沢庵は、二年後二代将軍徳川秀忠の死に伴う大赦で許された。

東海寺
とうかいじ

[現在地名]柏市布施

布施ふせの北東部、寺山てらやま集落の北にあり、利根川河川敷に突き出た亀の甲かめのこう山とよばれる小丘上を占める。紅竜山と号し、真言宗豊山派。本尊は弁財天。当寺の弁財天は江の島えのしま弁財天(神奈川県藤沢市)浅草あさくさ弁財天(東京都台東区)とともに関東三弁財天の一ともいわれ、布施弁天の通称で名高く、古くから広い信仰を集めていた。当寺縁起によれば、大同二年(八〇七)この頃一面の湖であった当地に紅竜が現れて島をつくり、その島に示現したのが布施弁財天であったという。布施弁天来歴書抜(後藤家文書)によれば、延宝二年(一六七四)後藤又右衛門が里人を集め藁葺の小社を造り弁財天を祀り、貞享元年(一六八四)江戸の瀬戸物商人によって仮御堂が建てられた。元禄一一年(一六九八)布施村が本多領となった折に亀の甲山は除地となり、宝永二年(一七〇五)同所字弁財天べんざいてんにそれまで古谷こやにあった当寺を移し、以後布施弁天と一体となって当寺は発展した。領主であった本多氏の当寺・布施弁天に対する信仰は深く、祈祷所に取立て、しばしば献納・寄進を行った(同文書)

東海寺
とうかいじ

[現在地名]引田町馬宿

馬宿うまやど川の東約五〇〇メートル、海岸線から少し南に入った平地に位置する。亀海山本言坊海蔵院と号し、近世には海蔵かいぞう院の名でよばれた。真言宗善通寺派、本尊薬師如来。「讃岐国名勝図会」によると天禄年中(九七〇―九七三)多田満仲が寺領を寄付して伽藍を再興、法相宗から真言宗に改めたという。もとは寺域も広大で外堀もあった(大川郡誌)。明応年中(一四九二―一五〇一)増玄が再興、その後兵火に罹り、天正年中(一五七三―九二)諸旦那の助勢により再興した(御領分中寺々由来)

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改訂新版 世界大百科事典 「東海寺」の意味・わかりやすい解説

東海寺 (とうかいじ)

東京都品川区にある臨済宗大徳寺派の寺。山号は万松山。1638年(寛永15)徳川家光が,帰依の僧沢庵宗彭のために建立した。朱印500石,塔頭(たつちゆう)17ヵ寺を有し,大徳寺派の江戸触頭(ふれがしら)の一つであった。45年(正保2)沢庵寂後,住職は大徳寺の僧が輪番で務めた。94年(元禄7)火災にあったが再興され,その後も徳川家の外護(げご)を得て隆盛をみた。1871年(明治4)本坊が取り壊され,寺地を召し上げられたため,以後,寺は塔頭の玄性院に移されていたが,第2次大戦後復興した。境内には賀茂真淵や服部南郭らの墓がある。鎮守(現在の品川神社)の牛頭天王(ごずてんのう)太々神楽の興行や祭礼はかなりのにぎわいをみせたといわれる。
沢庵
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「東海寺」の意味・わかりやすい解説

東海寺
とうかいじ

東京都品川区北品川にある臨済(りんざい)宗大徳寺派の寺。正しくは萬松山(ばんしょうざん)東海禅寺という。本尊は釈迦(しゃか)三尊仏。1639年(寛永16)徳川家光(いえみつ)が沢庵宗彭(たくあんそうほう)を開山として建立、徳川家代々の外護(げご)を得た。1871年(明治4)国有地とされて本坊を失ったため、塔頭(たっちゅう)の玄性院を仏殿として再建した。寺宝に都指定文化財の絹本淡彩沢庵和尚(おしょう)像、沢庵宗彭筆『原人論註解(ちゅうかい)』、沢庵墨跡3幅、東海寺拝領御道具帳3冊、東海寺公用記録124冊などがある。沢庵の墓、賀茂真淵(かもまぶち)の墓は国史跡に指定されている。

[菅沼 晃]

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デジタル大辞泉プラス 「東海寺」の解説

東海寺

香川県東かがわ市にある真言宗善通寺派の寺院。亀海山本言坊海蔵院と号する。本尊は本尊薬師如来。

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