糟屋有久(読み)かすや・ありひさ

朝日日本歴史人物事典 「糟屋有久」の解説

糟屋有久

没年承久3(1221)
生年:生年不詳
鎌倉初期の武将糟屋氏は藤原北家良方流で,相模国(神奈川県)大住郡糟屋庄に住した。兵衛尉有季は比企能員の婿だったので,比企の乱(1203)時に落命。有久はその子で,後鳥羽上皇西面武士であった。承久の乱(1221)では北陸道出陣東山道に向かった久季は弟といわれる。戦いに敗れ,ふたりとも陣没

(本郷和人)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「糟屋有久」の解説

糟屋有久 かすや-ありひさ

?-1221 鎌倉時代の武将。
本拠は相模(さがみ)(神奈川県)糟屋荘。後鳥羽(ごとば)上皇の西面の武士で承久(じょうきゅう)の乱では北陸道に出陣し,承久3年6月8日越中(富山県)で戦死した。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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