親魏倭王(読み)しんぎわおう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「親魏倭王」の意味・わかりやすい解説

親魏倭王
しんぎわおう

の景初3(239)年,明帝の女王卑弥呼に与えたとされる称号。「魏志倭人伝」によれば,卑弥呼はこの年,大夫難升米(なしめ)らを派遣し,明帝に朝貢返礼として親魏倭王の称号とこの称号を刻んだ金印紫綬(→印綬)を贈られた。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「親魏倭王」の解説

親魏倭王
しんぎわおう

邪馬台国(やまたいこく)の女王卑弥呼(ひみこ)が中国の魏の皇帝から与えられた称号。239年,卑弥呼の朝貢に対し下賜された金印に刻まれたのは,この称号であろう。称号授与は倭国が魏の冊封(さくほう)体制下に入ることを意味し,これにより卑弥呼は倭国での指導権の強化を図ったものと考えられる。

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旺文社日本史事典 三訂版 「親魏倭王」の解説

親魏倭王
しんぎわおう

邪馬台国 (やまたいこく) の女王卑弥呼 (ひみこ) が魏から贈られた称号
魏志倭人伝によると,239年卑弥呼は使者を魏に派遣し,明帝より,この称とそれを刻んだ金印紫綬,銅鏡100枚を与えられた。

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百科事典マイペディア 「親魏倭王」の意味・わかりやすい解説

親魏倭王【しんぎわおう】

卑弥呼(ひみこ)

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世界大百科事典(旧版)内の親魏倭王の言及

【卑弥呼】より

…帯方郡の長官劉夏(りゆうか)は,役人を遣わして難升米らを魏の都洛陽に送りとどけた。この年の12月,魏の皇帝は,卑弥呼に詔書を出して,卑弥呼を〈親魏倭王〉とし,金印紫綬を仮に授け,卑弥呼の献上した男女の生口10人,斑布2匹2丈に対する返礼の品物として銅鏡100枚,5尺刀2口などを贈ることを明らかにした。この詔書と品物は,翌240年に魏使によって卑弥呼のもとにもたらされた。…

※「親魏倭王」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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