中国で用いられた官職印とそれを身につけるための帯状の組みひも。《後漢書》輿服志によれば,上古には君臣はそれぞれ佩(おびだま)や韍(ひざかけ)を身につけて,その尊卑を示したが,戦国の世になって戦乱が続き,この制が廃れて,ただ身につける璲玉(すいぎよく)だけを残した。秦になってから,これを整理し,色分けされた組みひもで璲玉をつなぎとめ,地位を明示するようになった。これが〈綬〉である。この綬に官職印をつないで腰につけたので印綬という。綬の長さや幅は,地位によって一定でなく,漢の制では,諸侯王は赤綬四采,諸国の貴人・相国は緑綬三采,公・侯・将軍は紫綬二采などであった。この制度は,若干の変化はあったが,唐代まで続いた。ある官職につくと,その官印と綬とが与えられたので,〈印綬を佩(お)ぶ〉とは任官を,逆に〈印綬を解く〉とは退官を意味するようになった。
執筆者:稲畑 耕一郎
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本来は古代中国で,官印とそれを身につけるための組紐のこと。印は官人の身分を証明する印形で,綬は長さや幅・色が身分により異なった。日本から中国に遣使した際に中国の官爵を賜与された例がいくつかあり,その際に印綬を与えられた。たとえば239年魏に朝貢した邪馬台(やまたい)国の女王卑弥呼(ひみこ)は親魏倭王の称号と金印紫綬にあずかり,率善中郎将に任じられた大夫難升米(なんしょうまい)は銀印青綬を賜与されている。
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…中国では漢以前から銅その他の金属を鋳造した印が多く使用され,封印にも使用されたことはあるが,代表的なものは官職印であった。官職に就くことを〈印綬を帯びる〉というが,任官すると官職名を鋳(い)こんだ印を皇帝から授けられ,これを身体につけたのである。福岡県で出土した有名な〈漢委奴国王印〉は黄金製である。…
…この官印はその官職任命の証拠として授けられ,地位を失えば奪われた。印面は方寸(1寸四方,ほぼ22~23mm四方)で,文字は繆篆(びゆうてん)(模印篆)の書体で陰刻,鈕制は亀鈕,鼻鈕のほか駝鈕(北方異民族),蛇鈕(南方異民族)などで,鈕に孔をあけて〈丈二の組〉という1丈2尺の印綬(ひも)をとおし佩帯する。印綬は百官は身分により上から〈金印紫綬〉〈銀印青綬〉〈銅印黒綬〉と色が定まっていた。…
※「印綬」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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