長谷川宗仁(読み)はせがわ・そうにん

朝日日本歴史人物事典 「長谷川宗仁」の解説

長谷川宗仁

没年:慶長11.2.9(1606.3.17)
生年天文8(1539)
桃山時代の茶人,武将通称源三郎。従五位下刑部卿,法眼に叙せられた。京都町衆長谷川家の一族の出身と推定されるが,今井宗久と共に織田信長のもとで但馬経略にかかわり武士化した。信長没後は豊臣秀吉,徳川家康に仕え,その子守知の代には1万石余を領する大名となった。宗仁は秀吉のマニラ征服計画のなかではその担当者となっている。また画業にすぐれ,法眼の位が許された。信長,秀吉のもとでは茶人として活躍し,大名物長谷川肩衝(古瀬戸茶入)の所持者としても知られる。<参考文献>熊倉功夫『茶の湯歴史千利休まで―』

(熊倉功夫)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「長谷川宗仁」の解説

長谷川宗仁 はせがわ-そうにん

1539-1606 織豊時代の武将,茶人。
天文(てんぶん)8年生まれ。もと堺の商人とも京都の町衆ともいう。織田信長の奉行衆をつとめる。信長没後は豊臣秀吉,徳川家康につかえた。茶は武野紹鴎(たけの-じょうおう)の門下で,絵師としても知られ法眼(ほうげん)をゆるされた。慶長11年2月9日死去。68歳。通称は源三郎。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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