イエズス会東インド巡察師。イタリアのキエティ生れ。1557年パドバ大学で法学博士となり,66年イエズス会入会,ローマ学院で哲学と神学を学び,70年司祭となる。73年東インド巡察師に任命され翌年リスボン出港,78年マカオ着,中国布教政策を全面的に改める。79年(天正7)来日,81年五畿内を巡察し織田信長の歓待を受ける。この第1次日本巡察中に第1回協議会を開催,82年裁決を下しザビエル以来山積した司牧問題を処理した。日本の準管区昇格,下(しも),豊後,都の3布教区制,《日本年報(《イエズス会日本年報》)》の作成,マカオ市との生糸貿易による財政問題の解決,大村純忠から寄進された長崎港と茂木の受諾による経済と布教の拠点確保,日本人聖職者養成機関としてセミナリヨ,コレジヨ,ノビシアドの設立,日本人とヨーロッパ人のイエズス会士の融和,禅宗を範とした礼法の制定など,日本の言語,文化,風習に対する適応方針は大航海時代の布教史上画期的なものであった。82年彼の計画した天正遣欧使節とともに長崎出港。90年使節とともに再来日し,豊臣秀吉の伴天連追放令に対処するため第2回協議会を開催,使節の舶載した活字印刷機によるキリシタン版の出版を開始する。翌年,インド副王使節として秀吉に謁し,92年(文禄1)第1回管区会議を開催して離日,93年東アジアの聖職者養成の中心機関としてマカオにサン・パウロ学院を設立する。98年(慶長3)新司教セルケイラとともに三たび来日,関ヶ原の戦後の布教問題の再編成を図り,1603年長崎からマカオへ向かい,06年同地で没した。組織者としての手腕,深い学識と人格により,ザビエルの精神を継承したキリシタン史上の中心人物である。著書に《インド諸事要録》《日本のカテキズモ》《日本の風習と形儀(かたぎ)に関する注意と助言》や《日本諸事要録・補遺》(《日本巡察記》),《東インド・イエズス会史》《弁明書》および《日本キリスト教史》第1巻がある。
執筆者:井手 勝美
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イタリア出身のイエズス会司祭で、三たび巡察師として来日し、布教事業に指導的役割を果たした。ナポリ王国のキエーティ市の貴族として生まれ、イエズス会員となったが、総長はその非凡の能力を認め、自らの名代ともいうべき巡察師に任命して東インドに派遣した。インドやマカオで仕事を終えてのち、1579年(天正7)に初めて日本に赴き、織田信長からも歓迎され、天正(てんしょう)遣欧少年使節行を立案し実施。1590年には帰国する少年使節を伴い、インド副王の使節として来日。この際、一行にヨーロッパから活字印刷機を携えさせ、日本で最初の活版印刷が始められた(1591年キリシタン版の刊行)。1598年(慶長3)から1603年(慶長8)まで3度目の滞日。1606年1月20日、マカオで病没した。カトリック教会史上の偉人の一人。
[松田毅一 2018年2月16日]
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1539.2.-~1606.1.20
イタリア人イエズス会巡察師。1579年(天正7)肥前国口之津に上陸,翌年五畿内を巡察し,織田信長から歓待された。日本イエズス会第1回協議会を開き,布教方針に日本の習慣などへの適応主義を採用,日本人聖職者養成のための教育機関であるセミナリヨ,コレジヨ,ノビシヤドの設立を指令した。通信制度を改革し,日本年報を作成させた。82年天正遣欧使節をともない離日。90年インド副王使節として長崎に上陸。豊臣秀吉のバテレン追放令への対処を協議し,キリシタン版の出版にも着手。91年聚楽第(じゅらくてい)で秀吉に謁見。92年(文禄元)長崎での第1回日本イエズス会管区会議後に再離日。98年(慶長3)3度目の来日。1603年まで長崎を中心に滞在。マカオで病死。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…こうして,トスカナ語を基盤とするイタリア語の問題は,国家統一期の国民的文学者マンゾーニによって再確認され,今日にいたるまで,絶えず文章語の論議の的に据えられている。イタリア語
[啓蒙主義と新古典主義]
〈マリニズモ〉の極端な装飾表現(G.マリーノ)を修正するべく,1690年にアルカディア学会(アルカディア)が創立されてからは,P.メタスタージオが喜劇と悲劇の融合をはかり,メロドラマを創案して《見棄てられたディドーネ》(1724上演)を著し,その影響を受けながらG.パリーニは,啓蒙主義のアルカディア精神とペトラルカの詩をめざす新古典主義のはざまにあって,代表作の長詩《一日》(1801)を発表した。また演劇の分野では,17世紀に仮面や道化の即興劇〈コメディア・デラルテ〉が盛んであったのに続いて,C.ゴルドーニがイタリア喜劇を改革し,C.ゴッツィが民話劇を考案し,V.アルフィエーリが古典に題材を得て荘重な悲劇《サウル》(1782),《ミラ》(1787)などを著した。…
※「バリニャーノ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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