メランヒトン(英語表記)Philipp Melanchthon

デジタル大辞泉 「メランヒトン」の意味・読み・例文・類語

メランヒトン(Philipp Melanchton)

[1497~1560]ドイツの人文主義者・神学者ルター宗教改革運動の最大の協力者として、プロテスタント教義の体系化に寄与。著「神学綱要」「アウクスブルク信仰告白」など。

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精選版 日本国語大辞典 「メランヒトン」の意味・読み・例文・類語

メランヒトン

  1. ( Philipp Melanchton フィリップ━ ) ドイツの神学者。本名フィリップ=シュバルトツェルト。ルターの宗教改革運動に協力した人文主義者。ウィッテンベルク大学教授。主著「神学総論」はプロテスタント神学基礎。(一四九七‐一五六〇

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改訂新版 世界大百科事典 「メランヒトン」の意味・わかりやすい解説

メランヒトン
Philipp Melanchthon
生没年:1497-1560

ドイツの人文主義者,宗教改革者。メランヒトンとは〈黒い土〉を意味する本名Schwartzerd(t)をギリシア語化したもの。ファルツのブレッテンに武器鍛冶工の子として生まれ,早く父を失い,母方の祖母に育てられたが,人文主義者として高名な大伯父ロイヒリンさらにエラスムス影響下に養育される。12歳でハイデルベルク大学に入り,17歳でチュービンゲン大学で教養学修士となり,教育や編集にたずさわる。ザクセン選帝侯の求めでロイヒリンの推薦を受けて,1518年ウィッテンベルク大学のギリシア語教授となる。その就任講演〈青年教育の改善〉はこの大学ばかりか他の大学の教育改革にとっても指標となった。その地で直ちに宗教改革者ルターの信仰と神学の影響下に入り,生涯その協力者となる。19年7月のライプチヒ討論のさいはルターを助け,夏からはローマ書の講義を始め,それに基づいて21年《神学総覧》初版を出版する。これは宗教改革の信仰と神学を体系的にまとめた最初のものである。30年アウクスブルク国会に提出された〈アウクスブルク信仰告白〉を起草し,またその〈弁証〉を執筆したほか,以後10年余カトリックとの宗教会談にも臨む。《神学総覧》を生涯になんども書き直したが,59年の最終版は以後のルター派教会に大きな影響を与えた。その人文主義的背景と平和的妥協的性格は,当時の教派対立的状況においてしばしば批判を受けたが,とくに上記〈アウクスブルク信仰告白〉など,キリスト教会一致のために近年改めて見直され,注目されている。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「メランヒトン」の意味・わかりやすい解説

メランヒトン
めらんひとん
Philipp Melanchton
(1497―1560)

ドイツの宗教改革者、人文主義者。人文主義者ロイヒリンの親族で、エラスムスの精神により教育され、早くから天才児として知られた。1518年チュービンゲン大学からウィッテンベルク大学にギリシア語の教授として招かれ、ルターの影響を受け、哲学から聖書学に転じ、ルターの同僚として宗教改革運動の指導者となる。1521年に『神学総論(ロキ・コンムーネス)』第1版を出し、宗教改革の教義を初めて明瞭(めいりょう)に組織した。その教育上の才能によりプロテスタント神学と哲学の教師となる。1530年にはプロテスタント最初の信仰告白である「アウクスブルク信仰告白」を執筆した。彼の性格は温和で、指導力に欠けるところもあったが、ルターの生存時には両者相違は顕在化しなかった。だが、晩年はルター神学との違いが目だち、論争の種を残した。しかし彼の人文主義的精神は、ルター派教会とカルバン主義とを結び付ける重要な方向を導き出したのである。

[金子晴勇 2018年1月19日]

『藤田孫太郎訳『神学総論』(1949・新教出版社)』『R・シュトゥッペリッヒ著、倉塚平訳『メランヒトン』(1971・聖文舎)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「メランヒトン」の意味・わかりやすい解説

メランヒトン
Melanchthon, Philipp

[生]1497.2.15. バーデン,ブレッテン
[没]1560.4.19. ウィッテンベルク
ドイツの神学者,宗教改革者,教育者。本名 Schwarzerd (黒い土の意) からギリシア語化してメランヒトンと呼ばれた。母のおじで人文学者のロイヒリンの薫陶を受け,ギリシア古典に通じた。 1518年ウィッテンベルク大学でギリシア語教授となり,ルターとともに宗教改革に乗出し,新教初の体系的神学書『ロキ・コンムネス』 Loci communes rerum theologicarum (1521) を出版し,ルターに次ぐ指導者となった。ローマ教会との論争を通じて,『アウクスブルク信条』『弁証』などを執筆,ルター派の正統を代表するものとみなされた。その後,特に聖餐に関してルターとの考えの相違が明らかとなったが,両者は最後まで友情を保った。ルターの死後,アウクスブルクの暫定取決め (48) に対して,信仰による義認を否定しないかぎりアディアフォラ (→アディアフォリスト論争 ) は実践してよいと,ローマ教会に妥協的であったので鋭く批判され,孤立した。またカルバンの立場とも妥協的であり,ルター派内の論争のもととなった。メランヒトンに従う人々はフィリップ派と称された。

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百科事典マイペディア 「メランヒトン」の意味・わかりやすい解説

メランヒトン

ドイツの宗教改革者。人文学を修め,若くしてウィッテンベルク大学のギリシア語教授となり,ルターに接して宗教改革者となる。1519年ライプチヒ討論でルターを助け,1530年〈アウクスブルク信仰告白〉を起草するなどしてその信頼を得たが,ローマ教会やカルバン派との歩み寄りを願って聖体論争などにおいてルターから遠ざかることになった。主著《神学総覧》。
→関連項目ハイデルベルク大学フリードリヒ[3世]ライプチヒ大学ロイヒリン

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「メランヒトン」の解説

メランヒトン
Philipp Melanchton (本名 Schwarzerd)

1497~1560

ドイツの神学者。初め人文主義者としてヴィッテンベルク大学に古典語を講じたが,ルター宗教改革にあたりその最大の協力者となり,特に学校教育改革に力を尽くした。

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旺文社世界史事典 三訂版 「メランヒトン」の解説

メランヒトン
Philipp Melanchton
本名 Schwarzert

1497〜1560
ドイツの宗教改革者・人文主義者
ヴィッテンベルク大学のギリシア語教授となり,同地で知ったルターの思想に共鳴してその宗教改革活動に参加,ルター派の理論化につとめた。後年,ルター派と一致しがたくなり,独自の神学説をたてた。主著『神学綱要』。

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世界大百科事典(旧版)内のメランヒトンの言及

【キリスト教】より

…10ヵ月のワルトブルク滞在中に成った新約聖書のドイツ語訳(《ルター訳聖書》)がはたした役割は大きい。このときメランヒトンは《神学要義》をもってルターの思想を体系づけており,このような協力者を多く得て改革が進行した。具体的には教会におけるミサの濫用と修道士の独身制に向けられ,それはルター不在中にもカールシュタットの指導の下にウィッテンベルクで始まっていた。…

【宗教改革】より

…そして19年6~7月,教皇側の最も有力な正統神学者エックとの間に,ライプチヒで行われた討論会(ライプチヒ討論)において,ルターがついに教皇の至上権を明確に否認し,公会議も誤りを犯す可能性があり,フスの学説にも福音的なものがあると公言するにおよんで,ローマ教会との決裂は事実上とり返しのつかぬものとなった。
[ルターの改革構想]
 〈神の言〉たる聖書を唯一の権威とし,信仰者の良心をかけたルターの勇敢な教皇権批判は,フッテンをはじめドイツの人文主義者たちの強い支持を得,エラスムスを尊敬する神学者メランヒトンのごときは,1518年いらいウィッテンベルク大学におけるルターの同僚教授として,その改革運動の協力者となった。彼の福音主義は,さらに広く市民層から農民層にまで及ぶ国民的な世論を獲得するにいたるが,そこには当時急速に発展しつつあった印刷術の力が大きく働いており,ルター自身この手段を存分に活用して,多くの著述や論争文,説教を公にした。…

【ルター】より

… 27年には,選帝侯ヨーハンに働きかけ,その命で領内教会巡察に取りかかり,プロテスタント教会の組織化をはじめるが,これはまた以後ドイツの領邦教会体制の始まりともなった。教会巡察はメランヒトンなどによる各地の教会規則制定に至るが,ルターは29年に大小二つの教理問答書(《ルター大小教理問答》)を著して,民衆の信仰教育を心がけた。その年プロテスタントの政治的結集を求める諸侯の願いでもたれたチューリヒのツウィングリとの神学会談は,聖餐論において一致に至らなかったが,30年アウクスブルク国会には,いくつかのルターの信仰告白を基とした,メランヒトン起草の〈アウクスブルク信仰告白〉が提出され,これによってルター派教会がしだいに西欧各地に形成されていく。…

※「メランヒトン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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