日本大百科全書(ニッポニカ) 「アクショーノフ」の意味・わかりやすい解説
アクショーノフ
あくしょーのふ
Василий Павлович Аксёнов/Vasiliy Pavlovich Aksyonov
(1932―2009)
ロシア(ソ連)の作家。カザンに生まれる。レニングラード医科大学を卒業。スターリン時代に両親が逮捕され、厳しい幼年時代を送る。母親は作家のエウゲニヤ・ギンズブルグЕвгения Гинзбург/Evgeniya Ginzburg(1906―1977)で、彼女の流刑地のシベリア極東部マガダンでも数年を過ごした。1960年に長編『同期生』を発表して一躍有名になり、以後、長編『星の切符』(1961)や短編『月への道半ば』(1962)などを次々と発表し、1960年代の新しいソ連文学の旗手となった。初期の作品で彼は、西欧の文化にあこがれる新しい戦後世代を大胆に描いたため、保守的な批評家からは攻撃されたが、若者たちから熱烈な支持を受けた。
しかし、1964年の長編『友よ、さあ潮時だ』を最後に青春文学と決別し、グロテスクで幻想的な手法を取り入れながら戯曲『いつでも売ります』(1965)や、中編『滞貨した樽(たる)』(1968)などを書く。こういった作風はソ連の公認の社会主義リアリズムから逸脱するものとみなされ、作家活動はしだいに困難になっていった。1979年、作家たちの文集『メトロポリ』の自主出版の際に中心的な役割を果たし、それが反体制的活動として厳しく批判された。そして翌1980年には亡命せざるをえない状況に追い込まれ、以後アメリカ合衆国に定住、ワシントンDCの大学で教えながら、創作活動を続けた。
亡命以後アメリカで出版されたおもな作品としては、5人の登場人物の交錯する語りを通じてソ連の現代精神史を描き出した長編『火傷(やけど)』(1980)、反ユートピア的風刺小説『クリミア島』(1981)、文集『メトロポリ』が弾圧された事件をモデルにした長編『はい、笑って』(1985)、自伝的アメリカ体験記『悲しきベビーを求めて』(1987)などがある。これらの作品を通じてアクショーノフはつねに現実に題材をとりながらも、さまざまな前衛的な手法上の実験を試み、現代ロシア小説の新しい可能性を切り拓(ひら)いてきた。
ペレストロイカ(建て直し)後はロシアでも全面的に再評価され、過去の著作も新作もロシアで次々と出版されるようになった。そして、亡命直後に剥奪(はくだつ)されたロシア(旧ソ連)市民権も1990年には回復し、その後、アメリカに暮らし続けながらも、モスクワとワシントンDCの間を自由に行き来する生活を続けた。1980年代末以降の作品としては、最初に英語で書き、その後、自らロシア語訳した『卵の黄身』(1989)、スターリン時代を生きたモスクワのインテリ一家を描く大河小説『モスクワ年代記』(1994)や作家の思索の集成『新しい甘い生活』(1998)などがある。
[沼野充義 2016年1月19日]
『安井侑子他訳『新しいソビエトの文学5 アクショーノフ/グラジーリン』(1974・勁草書房)』▽『工藤精一郎訳『星の切符』(中公文庫)』▽『島田雅彦著『語らず、歌え』(1987・福武書店)』▽『エヴゲーニヤ・ギンズブルグ著、中田甫訳『明るい夜暗い昼――女性たちのソ連強制収容所』(1990・集英社)』