アクトン(読み)あくとん(英語表記)John Emerich Edward Dalberg-Acton, 1st Baron Acton of Aldenham

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アクトン」の意味・わかりやすい解説

アクトン
Acton, John Emerich Edward Dalberg, 1st Baron Acton

[生]1834.1.10. ナポリ
[没]1902.6.19. バイエルン,テーゲルンゼー
イギリスの自由主義的歴史家。祖父ナポリ王国に招かれ,同王国の首相となった人。カトリック家柄で,彼もミュンヘン大学でカトリックの神学,歴史学を J.デリンガー教授から学ぶ。その後,自由党所属の下院議員 (1859~65) となり,W.グラッドストン親交を結ぶ。 1869年男爵を授かる。 70年のバチカン公会議ではデリンガー教授とともに教皇不可謬性の教理に強く反対した。 95年ケンブリッジ大学近代史欽定講座担当教授に就任。『ケンブリッジ近代史叢書』 The Cambridge Modern History (14巻,1902~12) の監修に着手したが,その刊行前に死去

アクトン
Acton, Sir John Francis Edward

[生]1736.6. ブザンソン
[没]1811.8.12. パレルモ
フランス生まれのイギリスの軍人,政治家,ナポリ王国首相。父はフランスを追放され,イギリスに帰化トスカナ大公国海軍に入隊し,そこで頭角を現し,ナポリ王国要請を受けて同王国の艦隊編成の指導にあたった。その功が認められて,1785年ナポリ王国首相となる。フランス革命思想を嫌い,フランス敵視政策をとり,イギリスとナポリの提携による地中海支配を求めた。しかしフランス軍の攻撃をたびたび受け,シチリアに亡命した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「アクトン」の意味・わかりやすい解説

アクトン
あくとん
John Emerich Edward Dalberg-Acton, 1st Baron Acton of Aldenham
(1834―1902)

イギリスの歴史家。1月10日イタリアのナポリに生まれる。ドイツのミュンヘン大学で歴史を学んだのち、1858年よりイギリスに定住。下院議員(1859~1865)を務め1869年男爵に叙された。自由主義的旧教徒の代表で、教皇不可謬(ふかびゅう)性の教理を強く批判。1895年シーリーの後任としてケンブリッジ大学の近代史欽定(きんてい)講座担当教授となり、在任期間は7年にすぎなかったが、万人の首肯しうる純客観的な「決定的歴史」の可能性を固く信じて、学界に大きな影響を残した。彼の編集になる『ケンブリッジ近代史』叢書(そうしょ)はその信念の具体的結実であったが、彼自身はその刊行前に病に倒れ、1902年6月19日死去。叢書は死後に刊行された。

[松村 赳]

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