アシエンダ(その他表記)hacienda

翻訳|hacienda

改訂新版 世界大百科事典 「アシエンダ」の意味・わかりやすい解説

アシエンダ
hacienda

かつてスペインが支配していた地域における伝統的な大農園をいう。

ラテン・アメリカにおける極端な所得格差や貧困の大きな原因は,ラティフンディオlatifundio(大土地所有)の存在にあるが,この大土地所有は一般に大規模な輸出向け商品生産を行うプランテーション型と伝統的なアシエンダ型に分けられる(ブラジルについては〈ファゼンダ〉参照)。アシエンダの特徴は,(1)国内・地域市場向け商品生産と自給生産の並存,(2)資本・技術の欠如,(3)土地の低利用,生産の非能率,(4)間接経営部門(地主-小作関係)の存在,(5)原住民共同体への労働力依存,(6)地主の家父長的支配,があげられる。このようにアシエンダの存在は,近代的な農村の成立を妨げ,農業の停滞をもたらし,地主はその収益を奢侈的な消費に回すなど,ラテン・アメリカにおける近代化の大きな阻害要因となっている。アシエンダはメキシコ,中米の一部,アンデス諸国に一般的である。

 アシエンダの出現は16世紀末~17世紀初頭にさかのぼる。16世紀中葉,それまでの原住民に対する貢納・賦役制度(エンコミエンダ)が原住民人口の激減によって機能しなくなり,スペイン人自身による農業生産が開始された。こうして土地が農地として重要性を増し,スペイン当局によって植民者に恩貸地として贈与され,さらに16世紀末,コンポシシオンと呼ばれる手続を経て土地所有権が確立した。アシエンダという用語は本来〈財産〉を意味するが,耕地の拡大,灌漑などの設備,労働力が付随して地価が上昇するとともに,不動産としての〈土地〉の意味に転用された。植民地時代に進行した大土地所有は,独立革命においても影響を受けず,むしろ自由主義改革によって共同体,教会などの法人による土地所有が禁止され,その所有地を吸収していった。さらに1880年代に始まるラテン・アメリカの資本主義形成期における世界市場への統合の深化は,商品農業のための耕地の拡大,労働力確保を目的とするアシエンダの隣接農地への侵食を加速化させ,土地の集中がこの時期に顕著となった。

 アシエンダの経営は小作地と地主直営地に大別される。前者はさらに地代形態により雇役小作(小作農の名称--コロノ,インキリノワシプンゲーロ),分益小作(ヤナコナアパルセロ,メディエロ),賃小作(アレンダタリオ)に区別され,直営地においては農業労働者(ガニャン,ペオンアフエリノボルンタリオ)が低賃金労働を行う。アシエンダの構成員は,19世紀中葉のメキシコの例でみると,地主の代理である支配人,司祭,管理人,正書記,経理士などのエリート層,人夫頭,書記,教師,番人などの中間職,ペオン,下働き人夫などの農場労働者である。19世紀末のメキシコでは農民からの大規模な土地収奪が進行し,広大な土地が外国資本や大土地所有者に払い下げられた。これがメキシコ革命の直接の原因である。メキシコではカルデナス政権下(1934-40)で実質的な土地分配が実施された。他の諸国における農地改革の実施年は次のとおりである。ボリビア(1953),キューバ(1959,63),ベネズエラ(1960),ペルー(1969),チリ(1971),ニカラグア(1979)。
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フィリピンにおいてアシエンダは,歴史的には18世紀後半に始まる商品生産の展開に伴ってみられるようになる。系譜的にはスペイン国王からの下賜を中心に,狂信者からの寄進,強奪で得た土地を併合したカトリック教団所領での農園開設と,スペイン人,スペイン・メスティソなど特権階層の王領地払下げによる未墾地での農園開発の二つがある。前者はマニラなど古い都市周辺部に分布し,通常インキリノと呼ばれる借地人が農民と小作契約を結んで商品作物の栽培を行った。後者は時期的にやや遅れて19世紀後半以降急増し,ネグロス島北・西部一帯,パナイ島内陸部,ルソン島中部平野内陸部など開発の遅れた地方でみられる。これらアシエンダは,高利貸的土地兼併による分散耕地所有とは対照的に,地続きの大団地からなり,かつては数千haに及ぶ広大なものも珍しくなかった。しかし均分相続制をはじめ,切売りなどでその後細分化が急速に進み,現在では100~300haくらいの規模が普通である。今日ではネグロス島の甘蔗(サトウキビ)アシエンダと中部ルソンの米作および甘蔗アシエンダにその典型を求めることができ,前者が賃労働に依拠した経営であるのに対し,後者は農地を細分して農民に貸し付ける小作経営である。なお,教団所領のアシエンダは,すでに大部分解体した。
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百科事典マイペディア 「アシエンダ」の意味・わかりやすい解説

アシエンダ

かつてのスペイン領植民地(ラテン・アメリカ,フィリピン)における伝統的な大農園。ブラジルについてはファゼンダを見よ。アシエンダは16世紀の中葉,エンコミエンダが原住民人口の激減によって機能しなくなったために出現し,17―18世紀に発展した。ラテン・アメリカ諸国の独立後も自由主義改革によって共同体,教会などの土地所有が禁止されたため,それらを吸収していった。さらに1880年代からの資本主義形成期には,商品農業のために隣接農地を侵食して土地の集中が進んだ。アシエンダの経営は各種の小作形態による小作地と低賃金の農業労働者(ペオンなど)による地主直営地に大別される。土地改革はメキシコ(1934年―1940年),ボリビア(1953年),キューバ(1959年,1963年),ベネズエラ(1960年),ペルー(1969年),チリ(1971年),ニカラグア(1979年)で実施された。フィリピンでは18世紀後半に始まる商品生産の展開にともなって出現した。カトリック教団所領の農園(すでに大部分が解体)と19世紀後半急増した,未墾地に開発された農園がある。現在では100〜300ha規模がふつうで,ネグロス島のサトウキビ・アシエンダ,ルソン島の米作およびサトウキビ・アシエンダなどがその典型。
→関連項目メキシコ(国)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「アシエンダ」の意味・わかりやすい解説

アシエンダ
あしえんだ
hacienda

ラテンアメリカのスペイン系諸国における伝統的大農場。ラテンアメリカの低開発、とりわけ農業の停滞要因としてあげられる大土地所有制(ラティフンディオ)を、プランテーション(輸出用商品作物を栽培する近代的大規模農業経営)とともに構成している。その特徴は、不在地主、商品生産と自給生産の並存、資本や技術の不足、膨大な未耕地の存在、家父長的な地主と小作の関係などにある。その形成は17世紀にさかのぼる。当初もっぱら鉱業に向けられていたスペイン人入植者の経済的関心が、食糧供給者としての原住民共同体の衰退とともにしだいに農業に向けられた。そしてスペイン不況による大西洋貿易の衰退に伴い、資本移動や土地保有の公認などの条件に恵まれて、新たに巨大で複合的な(農牧、農工など)生産組織が形成された。そのおもな変化は、鉱業経済から農業経済への推移とともに労働力の雇用形態にある。すなわち、当初エンコミエンダ制(原住民のキリスト教化を名目に、スペイン国王が植民者に征服地の住民の統治を委託する制度)によって徴募されていた原住民賦役労働力が、原住民人口の激減に伴って維持困難となり、農場主が直接に原住民を雇用し、農場内に定住させる形態(ペオン)をとるようになった。その結果、いっそう原住民共同体の解体が進んだ。またアシエンダは、その発達に伴って前記のペオンとは別の臨時労働力源として、周辺にミニフンディオ(零細経営地)を小作関係などを通じて増殖し、今日のラティフンディオとミニフンディオの二極構造を形成した。

[原田金一郎]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「アシエンダ」の解説

アシエンダ
hacienda[スペイン],fazenda[ポルトガル]

ポルトガル語ではファゼンダという。財産,国庫などの意味があるが,ラテンアメリカ史では,植民地時代以来の大農園をさす。かつては16世紀のエンコミエンダ制から生まれたと考えられたが,現在では,スペイン王室が認めた社会制度としてのエンコミエンダと,私的財産,経営体としてのアシエンダは区別して扱うべきとされる。アシエンダは,基本的には17世紀以後,人口の多い鉱山町や大都会の食料をはじめとする物資の需要を満たすため生まれた。王室の公売その他により確保された広大な土地で農牧業を営み,先住民共同体の労働力に依存し,また地主による家父長支配が特徴であった。19世紀の独立期以後も,先住民共同体や教会などの土地を吸収して拡大し,国際市場向けの商品作物を大量に生産したが,ラテンアメリカ地域の近代化を阻害する要因の一つとして,つねに改革の対象となった。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アシエンダ」の意味・わかりやすい解説

アシエンダ
hacienda

ラテンアメリカの私有制大農園。自給自足経済を指向し,労働力は主として債務奴隷によるなど,半封建的・前近代的性格が強い。 16世紀末以来植民地時代を通して次第に発展し,特に 19世紀末の独立以後はインディオ共有地の吸収合併,教会所有地の購入,公有地払下げ政策などによって一層急激に発展,ラテンアメリカにおける典型的な土地所有形態となった。 19世紀末から 20世紀にかけてはプランテーション制的性格も強まってきた。国,地方によりかなりの差があるが,現在古典的タイプのアシエンダは中央アメリカ,アンデス諸国などに多くみられる。他方,メキシコ,ボリビア,キューバなどでは,土地改革によって部分的ないしは完全なアシエンダの解体が行われた。

アシエンダ[フィリピン]
hacienda

スペイン領有時代のフィリピンで,19世紀以後発達した大土地所有制。カトリック教団によるものと民間の資本によるプランテーションとの2種類があり,規模は数千 haに及ぶものもあった。小作人や農業労働者の間に高まる不満は,19世紀末のフィリピン独立運動の遠因となった。

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世界大百科事典(旧版)内のアシエンダの言及

【家】より

…【後藤 晃】
【ラテン・アメリカ】
 アルゼンチンなど白人が人口のほとんどを占める地域を除けば,ラテン・アメリカは,インディオの人口密度が高く,その伝統的文化の強い中米からアンデスにまたがる高原地帯と,熱帯作物の単一栽培と黒人奴隷の子孫の存在に特徴をもつカリブ海全域からブラジルにかけてのプランテーション地帯に大別されうる。長い植民期を通じて両地域は,アシエンダファゼンダなどと呼ばれる大土地所有制に基づいた農業経営単位を巡って構造化が進み,それぞれが社会のおもな構成単位をなしていた。独立自営の小農層による村落共同体の形成はきわめて弱く,社会はアシエンダやプランテーションの累積であったといえる。…

【メキシコ】より

…一方,過酷な労働から先住民を救おうとする先住民保護運動がラス・カサスらによって展開され,王室はエンコミエンダ制を制限したが,先住民人口の減少によりエンコミエンダ制は実質的に存在価値を失っていった。エンコミエンダ制に代わって16世紀末から17世紀前半にかけて出現したのがアシエンダ制(大農園)である。アシエンダは単なる大土地所有制であるだけでなく,半封建的な社会経済組織体へと発達した。…

【ラテン・アメリカ】より

…カビルドはクリオーリョ(クレオール)がその成員の大多数を占める唯一の政治組織として19世紀の独立戦争の時代に重要な役割を果たすことになったのである。 副王,アウディエンシアなどに代表された王権は副王領の中心地とその近隣地域では揺るぐことはなかったが,はるか遠方の孤立した地方では大土地所有者(アシエンダ)の権力が絶大であった。彼らは広大な所領を有し,まるで封建領主のごとく所領内で裁判権を行使し,裁判所や監獄までも設け,そのうえ私的な軍隊を養っていた。…

※「アシエンダ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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