農業労働者(読み)のうぎょうろうどうしゃ(英語表記)agricultural labourer 英語

精選版 日本国語大辞典 「農業労働者」の意味・読み・例文・類語

のうぎょう‐ろうどうしゃ ノウゲフラウドウシャ【農業労働者】

〘名〙 農業生産に従事する労働者。〔国民経済講和‐乾(1917)〕

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「農業労働者」の意味・わかりやすい解説

農業労働者
のうぎょうろうどうしゃ
agricultural labourer 英語
Landarbeiter ドイツ語

厳密な意味での農業労働者は、農業資本家に雇われ、農業労働に従事し、その反対給付=賃金で生活を維持している労働者である。すなわち、厳密な意味での農業労働者は、農業における資本制生産様式の成立、資本家的農業経営の存在を前提とする。

 しかし、農業での資本制生産様式の成立は、世界最初の工業国であるイギリスを除く他の資本主義諸国ではかならずしも順調に展開しなかった。したがって、イギリスを除く他の資本主義諸国では、農業経営は、今日なお、それぞれの国の歴史的特殊条件に規定された家族経営が支配的である。また、資本主義経済の発展による農民層分解に伴って形成された農業労働者にしても、イギリスで析出されたような厳密な意味での農業労働者は少なく、多分に先資本主義的関係から受け継いだ歴史的残存物の刻印を著しく帯びた身分的隷属的契約形態の農業労働者が多かった。たとえば、かつて東部ドイツの地主貴族(ユンカー)の農業経営に雇われた農業労働者はインストロイテ(作男)とよばれ、インストロイテは、きわめてわずかな貨幣報酬のほかに、地主貴族の所有地中に一片の土地、一定数の家畜の飼料、家屋、燃料、ときには麦粉の一部分を受け取る労働者であった。また、寄生地主が支配していた第二次世界大戦前の日本の農村では、地主手作(てづくり)経営、富農に1年または数年の年季奉公的契約で雇われていた「若勢(わかぜ)」「作男」「作女」とよばれる「年雇」の農業労働者がみられた。年雇は、主として小作貧農層の子弟(未婚者)で、地主手作経営、富農の家父長的な労働力構成員として、通常、雇主の家屋内に住み込み、農業労働だけでなく、家事にも従事した(結婚すると通いの年雇となった)。

 農業労働者には、以上のような常雇的労働者のほかに、収穫などの農繁期だけ雇われる季節的農業労働者、移動農業労働者が世界各地で広くみられた。たとえば、かつてフランスでは、収穫期にベルギー人、イタリア人、スイス人およびポーランド人の出稼ぎ労働者が農業に従事していた。東部ドイツでは、農繁期にポーランドをはじめとする東欧諸国から大量の移動労働者Wanderarbeiterを受け入れていた。イギリスへは収穫期にアイルランド人が出稼ぎにきていた。日本では、田植、稲刈りなど農繁期の日雇、臨時雇のほかに、ミカン収穫、イグサ刈りといった仕事に多くの季節的出稼ぎ労働者を雇い入れてきた。たとえば、静岡県のミカン作地帯には東北地方の農村から、岡山県のイグサ刈りには徳島県山間部の農村から、季節的出稼ぎ労働者が受け入れられた。

 ともあれ、イギリスを除く他の資本主義諸国では、農業は家族経営が支配的であり、農業就業人口中の農業労働者の比重は従来から低かった。そして、農業労働者は、重化学工業の発展による労働市場の拡大、農業における機械化、化学化など労働節約的技術の普及に伴って、農業就業人口の減少を上回るテンポで減少した。これはイギリスも例外ではなかった。イギリス(イングランドおよびウェールズ)の農業労働者数は、19世紀末には80万~90万人で、農業就業人口の70%程度を占めていたが、20世紀に入って減少の一途をたどり、第二次世界大戦後、急速に減少した。ちなみに、イギリスの農業労働者数および農業就業人口中の比率は、1983年が33万人・53%、1988年が29万人・42%、1998年が23万人・38%と減少した。

 日本では、第二次世界大戦後の農地改革、1960年代以降の高度経済成長に伴う農業就業人口の急速な減少、農業における機械化、化学化などを通じて、かつての「年雇」はほぼ完全に姿を消し、季節雇、日雇、臨時雇などの農業雇用労働も急速に減少した。農業センサスによると、農業臨時雇の雇入れ農家数(都府県)は、1970年(昭和45)の40.9%が1985年には12.6%と低下し、3ヘクタール以上層の農家1戸当り雇入れ延べ人数は、1970年72.6人、1985年24.8人と減少した。しかし、1990年代に入ってから、雇用依存度の高い企業的農業経営や上層農家の形成に伴って、周年型農業雇用(常雇)の減少傾向は下げ止まりとなり、増加傾向に転じ、農業常雇人数は、農家と農家以外の農業事業体を合計すると、1985年5万8396人、1990年(平成2)6万1800人、1995年9万1160人と増加した。なお、21世紀に入ってからも、農業就業人口および農家数全体の減少がさらに進むなかで、雇用依存度の高い企業的農業経営の増加傾向の継続、法人化の進展に伴い、農業常雇人数は、2005年(平成17)12万9086人、2010年15万3579人と増加傾向をたどっている(農林水産省『農業センサス』)。最近の農業常雇は、かつての「年雇」とは異なり、賃金・労働条件等の契約がより明確で、より近代的な農業労働者としての性格を強めている。ただし、農業経営は、数の上では、なお家族経営が圧倒的多数を占め、雇用依存度の高い企業経営はごく少数であることに留意しておかなければならない。

 いずれにしても、農業雇用労働力の供給源は、全体として、非農業労働市場の拡大により縮小傾向をたどっており、臨時雇・パートを含めて、雇用契約の近代化が図られなければ、農業雇用労働力の確保はむずかしくなっている。とりわけ、機械化・省力化がむずかしく、定植、収穫、選別、荷造りといった作業で手作業が多く残り、季節的労働力需要の大きい野菜作や果樹作、花卉(かき)園芸などの部門では、臨時雇・パートの需給ギャップが大きく、希望どおりの雇用労働力の確保がむずかしい。したがって、臨時雇・パートは、より広域的で、かつ非農家世帯の女性や高齢者からも確保するといったことになっている。

[井上和衛]

『リャシチェンコ著、直井武夫訳『農業経済学 上巻』(1935・白揚社)』『小池基之著『日本農業構造論』(1944・時潮社)』『新井嘉之作著『イギリス農村社会経済史』(1959・御茶の水書房)』『M・キャプスティック著、東井正美・堀田忠夫訳『農業経済学』(1978・ミネルヴァ書房)』『井上和衛著『農村再生への視角』(2000・筑波書房)』『暉峻衆三編『日本の農業150年』(2003・有斐閣)』

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