アプダイク(読み)あぷだいく(英語表記)John Hoyer Updike

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アプダイク」の意味・わかりやすい解説

アプダイク
あぷだいく
John Hoyer Updike
(1932―2009)

アメリカ小説家、詩人。ペンシルベニア州シリングトンに生まれる。ハーバード大学を優等で卒業後、奨学生としてイギリスのオックスフォードのラスキン美術学校に留学。帰国後『ニューヨーカー』誌の「町の話題」欄担当のかたわら、詩、短編小説を発表、1957年から創作生活に専念する。最初の詩集『組み立てた牝鶏(めんどり)』(1958)ののち、老人ホームを描いた近未来小説『プアハウス・フェア』(1959)で注目され、『走れウサギ』(1960)によって作家的地位を確立した。1950年代のアメリカ社会を背景に、ウサギというあだ名をもつ26歳のハリー・アングストロームが家庭から逃亡し、放浪を続ける精神的混迷を描いたもので、以後、10年ごとに続編として『帰ってきたウサギ』(1971)、『金持ちになったウサギ』(1981)、『さようならウサギ』(1990)を発表し、ラビット・アングストローム四部作を完結したが、主人公の56歳の生涯と重ね合わせて、激動する20世紀後半のアメリカ史を描いた超大作であり、絶賛され、第三作と四作はそれぞれピュリッツァー賞を受賞した。

 プロテスタントの立場から、地方都市の中産階級の市民の日常生活を題材にして、洗練された文体で描くのが特色で、実験的技法も試みているが、基本的にはリアリズムである。非常に多作で、ギリシア神話を下敷きに高校教師を描いた全米図書賞受賞作『ケンタウロス』(1963)、母子の愛情を語る『農場』(1965)、性の解放と教会の衰微を扱い、大胆な性描写で話題をよんだ『カップルズ』(1968)、『結婚しよう』(1976)、宗教家を扱った神学小説三部作ともいうべき『日曜日だけの一カ月』(1975)、『ロージャーの話』(1986)、『S』(1988)、フェミニズムを風刺した『イーストウィックの魔女たち』(1984)、ユダヤ系作家を主人公にした『ベック氏の奇妙な旅と女性遍歴』(1970)、『窮地に立つベック』(1998)、アフリカを舞台にした『クーデタ』(1978)、トリスタンとイズー伝説を下敷きにした『ブラジル』(1994)、大学教授を描いた『フォード政権の追憶』(1992)、牧師一家の年代記『ユリの美しさ』(1996)、米中戦争後のアメリカを扱った近未来小説『時の終りに向かって』(1997)、シェークスピアの『ハムレット』の前編ともいうべき『ガートルードクローディアス』(2000)がある。

 短編の名手であり(短編の詳細は後述)、短編集として『同じ一つのドア』(1959)、『オリンガー作品集』(1964)、『さようならウサギ』の続編を含む『愛のフレーズ』(2001)などがある。詩集として『詩集1953―1993』(1993)などがあり、批評、評論には、『一人称単数』(1965)、『岸に沿って』(1983)、『ゴルフ・ドリームズ』(1996)、『もっと中身を』(1999)、『見てるだけ――美術論集』(1989)など。戯曲にはブキャナン大統領を描いた『死に行くブキャナン』(1974)があり、『魔法の笛』(1962)など児童向の読物も書いている。1970年(昭和45)に来日した。

[井上謙治]

短編

まず少年期ものがある。「ぼくがどんなにきみを好きか、きみには分かるまい」は、幼い子供が大人のずるさを知る話。「鰐(わに)」は小学生の清冽(せいれつ)な初恋物語。「鳩(はと)の羽根」の少年は、読書によって無神論の毒を知るが、撃ち落とした野鳩の羽根の美しさを見て、造物主の存在を確信する。「巣立ち」の高校生は、空飛ぶ鳥に、やがて都会へ出て行く自分の姿をみる。「最も幸せだった時」の大学生は、郷里の新年会で男女の仲のむずかしさを目撃したあとシカゴで待っている恋人のもとに向かう。題名は、結婚を未来形で考えることができる時、という意味である。

 結婚生活もの。「ウォルター・ブリッグズ」「妻を口説(くど)く」など初期作品において夫婦を襲うのはせいぜい倦怠感(けんたいかん)であるが、「ミュージック・スクール」(SF的空想、聖体拝領の新方式など、いろいろな要素の絡まり合った複雑な作品なのだが)の中年作家は、離婚寸前の状態に追い込まれて懊悩(おうのう)している。「美術館と女たち」は一見さりげない抽象的な作品だが、絵画を見る目で女性を見、女性を見る目で絵画を見るという、きわめて挑発的なモチーフを隠しもっている。こういった作品の延長上に、ベトナム戦争のころの性風俗をむなしく回顧する「より大いなる館」のような作品が位置づけられる。

 アプダイク短編の特質は濃密な比喩(ひゆ)によって織り上げられていることにあるが、「ライフガード」において比喩思考は類比(アナロジー)の哲学になっており、主人公は夏の間はライフガードとして溺(おぼ)れかけた海水浴客を救助する使命を帯びているが、ふだんは神学生として迷える魂を救済するための修行をしている。またそのように語る彼の隠された、もう一つの顔はうつろいゆく人生をことばによって救出する小説家なのだ。

[寺門泰彦]

『宮本陽吉訳『走れウサギ』上下(白水Uブックス)』『井上謙治訳『帰ってきたウサギ』2冊(1978・新潮社)』『井上謙治訳『金持ちになったウサギ』2冊(1992・新潮社)』『井上謙治訳『さようならウサギ』2冊(1997・新潮社)』『井上謙治訳『ラビット・アングストローム四部作』2冊(1999・新潮社)』『沼沢洽治訳『ベック氏の奇妙な旅と女性遍歴』(1976・新潮社)』『河野一郎訳『農場』(1977・河出書房新社)』『池澤夏樹訳『クーデタ』(1981・講談社)』『井上謙治訳『日曜日だけの一カ月』(1988・新潮社)』『寺門泰彦訳『ブラジル』(1998・新潮社)』『寺門泰彦・古宮照雄訳『ケンタウロス』新装復刊(2001・白水社)』『岩元巌訳『メイプル夫妻の物語』(新潮文庫)』『岩元巌訳『結婚しよう』(新潮文庫)』『大浦暁生訳『イーストウィックの魔女たち』(新潮文庫)』『宮本陽吉訳『カップルズ』(新潮文庫)』『寺門泰彦訳『鳩の羽根』(1968・白水社)』『須山静夫訳『ミュージック・スクール』(1970・新潮社)』『寺門泰彦訳『一人称単数』(1977・新潮社)』『宮本陽吉訳『美術館と女たち』(1980・新潮社)』『大津栄一郎訳『アメリカの家庭生活』(1985・講談社)』『山際淳司訳『カプチーノを二つ』(1991・集英社)』『沼沢洽治訳『美しき夫たち』(1993・筑摩書房)』『岩元巌訳『ゴルフ・ドリーム』(1997・集英社)』『宮本陽吉訳『同じ一つのドア』(新潮文庫)』『岩元巌訳『アップダイク自薦短編集』(新潮文庫)』

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