アマルナ美術(読み)アマルナびじゅつ

改訂新版 世界大百科事典 「アマルナ美術」の意味・わかりやすい解説

アマルナ美術 (アマルナびじゅつ)

古代エジプトの宗教改革王イクナートンが,その信奉するアテン信仰の原理に基づいて,自ら指導育成した反伝統的傾向の濃い芸術で,エジプト美術史上特異な地位を占める。伝統的なエジプト美術が,時間を超えた永遠の本質を表現するため,きわめて様式化された表現形式を遵守しているのに対して,瞬間の動きの表現や自由な自然描写など,自然主義風・写実主義風な表現を特色とする。新都アケトアテン(アマルナ)発見のものを中心とし,テーベカルナックツタンカーメン王墓)出土品も含まれる。建築ではアマルナのアテン大神殿に代表されるように,日輪そのものを礼拝の対象とするため,伝統的な神殿に比べて天井のない部分が大部分を占め,奥陣まで太陽の光が差すように設計されている。王墓もそれまでの岩窟墓とちがい,太陽の光が玄室まで象徴的に達するように,通廊,墓室が直線軸上に配置されている。彫刻では従来の理想化された王像表現に代わって,王の容貌体形を誇張した王像がつくられ,新しい人体表現の規範とされた。カルナックのアテン神殿出土の王の巨像がその代表で,後期にはネフェルティティ胸像のようなより洗練された作品も製作される。浮彫も,王を人体表現の規範とし,王家の〈アテン礼拝図〉〈団欒図〉など特徴的主題が好んでとりあげられる。王宮壁面床面は太陽の恵みの下に遊ぶ鳥獣植物で飾られている。
アマルナ時代
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「アマルナ美術」の解説

アマルナ美術(アマルナびじゅつ)

エジプト史上特異な芸術上の一時期産物。異端王アメンヘテプ4世(前14世紀)は真実を第一義と考え,伝統を破って動的・写実主義的芸術を奨励した。彼と王妃肖像ツタンカーメン遺品などはその代表である。

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世界大百科事典(旧版)内のアマルナ美術の言及

【エジプト美術】より

…しかし,《王妃ネフェルティティの胸像》(ペンガモン美術館)は肉づけが優雅で,着色も鮮麗である。王の没後アマルナ派は没落し,テーベ派の伝統に復帰したが,アマルナ派のなごりは後を引いた(アマルナ美術)。第19王朝にはテーベ派が活動したが,力感と威厳とに優雅味を加えた。…

※「アマルナ美術」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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