スイスの文学者,哲学者。フランス系の新教徒の家に生まれ,早く両親を失い,叔父に引き取られたが,のちベルリン大学に留学し,帰国後は,ジュネーブ大学で,美学ついで哲学の講座を担当し,一生独身で過ごした。生前数冊の詩集および文芸評論を出版しているが,彼の名を一躍有名にしたのは,死後に出版された《日記抄》2巻(1882-84)である。これは1847年から死に至るまで書き続けられた1万7000ページにのぼるノートから抜粋編集されたものである。1923年に増補版3巻が出版されたが,依然として膨大な手稿の一部にとどまっている。この《日記》は,病的なまでに小心で,実人生に背を向けて自己の中に内屈し,自己分析に喜びを見いだした繊細な魂の綿密な記録であるが,厭世的で不安に満ちたその告白は,ロマン派以上に〈世紀病〉を体現するものとして,多くの読者を引きつけた。
執筆者:山崎 庸一郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
フランス語圏スイスの哲学者、文学者。ドイツの大学で哲学を学んだのち、ジュネーブ大学で美学を教え、のち哲学教授になる。死後その1万7000ページに上る『日記』の一部(全体の約15分の1)が出版され(1883、1927)、広く読まれるようになった。フランス語で考え、フランス語を用いながら、ドイツ哲学によって深い影響を受けた彼は、独仏両文化の相互浸透の珍しい例の一つとなっている。彼は、自我と普遍的宇宙の生命との対決、無限へのあこがれ、絶対への願望などの問題を追求する反面、自らの自我の流動的でとりとめのない、無に等しい状態を思考の解剖台上にのせ、執拗(しつよう)に切り刻んだ過程を、その膨大な日記中に記録することによって、他に類例をみないほどの精密で厳しい自己分析を行った。
[土居寛之 2015年5月19日]
『河野与一訳『アミエルの日記』全4冊(岩波文庫)』
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