アリストテレス哲学の基本概念(読み)ありすとてれすてつがくのきほんがいねん

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

アリストテレス哲学の基本概念
ありすとてれすてつがくのきほんがいねん

エネルゲイア energeia
 広く「活動」を意味するギリシア語で、現実態などと訳される。

基体(きたい) (ヒポケイメノンhypokeimenon)
 ヒポケイメノンは「下に置かれてあるもの」、すなわち、ある事柄が「そこ」において成り立っているものを意味する。それゆえ、一般的な用法としては、ある一連の話、ある文、または、ある述語が、それについて(それに言及して)なされるもの、つまり、あることばが語られる場合、その「基礎にあらかじめ措定(そてい)されているもの(先言措定)」という意味をもつ。そこから、それは述語がそれについて述べられている主語でもあり、また、運動変化においては、変化が「それ」から「それ」への変化である相反する性質の下に、これらの相反する性質がともに帰属し、変化の過程を通じて同じ一つの持続するものとして措定される基体でもある。ラテン語ではsubstratumまたはsubjectumという。

共通感覚(きょうつうかんかく) (コイネー・アイステーシスkoinē aisthēsis
 特定の感覚器官(目、耳、鼻、舌、皮膚)による特定の感覚は、それぞれ固有な感覚対象をもつが〔視覚には色が、聴覚には音が、嗅覚(きゅうかく)にはにおいが、味覚には味が、触覚には温冷・硬軟という感覚性質が、それぞれ固有の感覚対象としてある〕、これらの特殊な感覚のいくつか、または、すべてによって共通に覚知されるものがある。「運動」「静止」「形状」「大きさ」「数」「一」がそれである。これら共通の感覚対象が覚知されるのは、特殊な感覚能力のすべてに内含される共通の感覚能力による。これを「共通感覚」という。

 共通感覚によって、われわれは、〔1〕前述の共通な感覚対象を覚知するだけではなく、〔2〕いくつかの特殊な感覚性質が同じ一つのものの感覚性質であること(たとえば、胆汁について、それが苦いものであるとともに、黄色いものであること)を覚知し、さらに、〔3〕われわれ自らの感覚の働きそのもの(たとえば、われわれが見たり聞いたりしているということ)を覚知する。ラテン語ではsensus communisという。

形相(けいそう) (エイドスeidos)
 動詞イデインidein(見ることの意)から派生した語で、もともとは見られた形、姿を意味した。ラテン語ではformaと訳される。プラトン哲学ではイデアと同義に用いられたが、アリストテレス哲学では存在事物に内在する本質をいう。これが、ものの「なんであるか」を規定し、ものを現にあるとおりのものとして存在させている原因(形相因)である。アポロン彫像におけるアポロンの形姿、自然物における自然本性としての魂がそれである。

 形相がその内に実現される材質は質料(ヒューレー)といわれ、アポロン彫像における石または銅、自然物における土、水、空気、火という構成元素などがそれである。存在事物は形相と質料からなるとされ、これをヒレュモルフィスムスHylemorphismusという。

思惟の思惟(しいのしい) (ノエーシス・ノエーセオースnoēsis noēseōs)
 神の活動を表す語。可能態から現実態へと向かう自然界の運動変化を究極に根拠づける第一原因である神は、いかなる可能態をも含まぬ純粋の現実活動でなければならない。ところで、すべての物体の運動変化、または物体の運動変化を伴う活動は可能態から現実態に向かう活動である。それゆえ、いかなる可能態をも含まぬ活動は非物体的な精神の活動、すなわち思考活動でなければならない。

 ところで、神の思考活動は最高のものとして、最高のものを対象とする。だが、最高のものとは最高の思考活動そのものにほかならないから、神の思考活動は自己の活動そのものを対象とすることになる。これが「思惟の思惟」、神の自己思惟の活動である。それは最高のもっとも喜ばしい観想(テオーリアー)の活動である。われわれ人間がこのような活動にあずかるのはまれにわずかの時間のみであるが、これを常住楽しむ神の生は、最高の、もっとも喜ばしい生である。それは、全自然がそれを模し、それを愛することによって存在する、全自然の最終目的、最高善なのである。

質料(しつりょう) (ヒューレーhlē)
 形相(エイドス)とともに、生成する存在者の構成要素をなす。事物の生成は、事物を限定して形成する要素(形相)と、この限定を受け入れる要素(質料)の二要素によって考えられる。アポロンの彫像についていえば、アポロンの形姿は形相であり、石材または青銅材は質料である。動物についても同じように、それをある特定の種として限定しているものが形相であり、肉や骨や筋をなす成分は質料である。

 質料を意味するギリシア原語はヒューレーであって、本来は木材を意味した。つまり「加工を受けて、何かになる元」がヒューレーである。ラテン語でmateria〔matter(英語)、matière(フランス語)〕と訳される。英語のmatterは物質をも意味するが、質料としてのmatterは、限定を与える形相に関係して考えられる消極的要素であって、それ自身では無規定な、認識しえぬものであり、それ自身である一定の性質を備えたものとして考えられる物質とは異なる。

始動因(しどういん) (ホテン・ヘー・アルケー・テース・メタボレースhothen hē archē tēs metabolēs)
 形相因、質料因、目的因とともに四種の原因の一つ。存在事物の生成、または、運動変化がそこから始まり、それによって引き起こされる因(もと)をいう。人工物の場合には、作者の精神に内在する形相、自然物の場合には生まれるものと同種のすでに存する別個の成体がそれである。結果である生成、変化の「〈外に〉あらかじめ存すること(外在性と既存性)」をその特徴とする。ラテン語ではcausa efficiensという。

中間(ちゅうかん) (メソテースmesotēs)
 「中間性」の意。アリストテレス倫理学の基本語の一つで、人間の器量(徳)はさまざまな情と行為において過剰と過少の「中間」をつねに保つ性向であるという。

デュナミス dynamis
 ラテン語ではポテンティアpotentiaという。エネルゲイアenergeiaに対し、「可能態」または「潜勢態」と訳される。本来は「何かをなしうる能力」を意味する語であるが、存在論的には「何かになりうるものであって、まだ現にそうなっていない状態の存在のあり方」を意味する。たとえば、柿(かき)の種は可能態における柿の木であるが、石材や木材は可能態におけるアポロンの像であり、また家屋などである。

能動理性(のうどうりせい) (ヌース・ポイエーティコスnūs poiētikos)
 パテーティコス・ヌース(受動理性)とともに理性を構成する二要素のうちの一つ。受動理性に働きかけて、可能態においてある理性的対象を現実化する。理性の観想活動(テオーリアー)はこれによって成り立つ。この働きは可能的に見られうるもの(可能態における視覚対象)を現実に見られるものとする光の働きに比せられる。この点のアリストテレスの叙述は簡単、不明瞭(めいりょう)であるため、能動理性が、〔1〕神の理性であるのか、〔2〕人間の理性の一部であるのか、〔3〕人間の理性のうちに内在する神的理性であるのか、について論争が生じた。

 ともかく、それが人間理性の観想活動を可能とするために必然に要請される能動要素であることは間違いない。受動理性が肉体と結合し、記憶をもち、可滅であるのに対して、能動理性は肉体が滅びても、肉体から離存しうる、永遠、不死なるものとされた。

不動の第一動者(ふどうのだいいちどうしゃ) (ト・プロートン・キーヌーン・アキーネートンto prōton kīnūn akīnēton)
 動いているものはかならず他の何かに動かされて動くというのは、アリストテレスの運動論の基礎前提の一つである。なぜなら、ひとりでに動いているものがあったとしても、同じ一つのものが同じ運動に関して動かすものであると同時に、動かされるものであることは不可能であり(なぜなら、それは同じ一つのものに相反することを帰することになるから)、そこには動かす部分と動かされる部分が区別されるからである。

 こうして、動いているものを動かしている他のものが、そのもの自体、さらに別のものによって動かされているとするなら、この動かすものと動かされるものの系列は無限にさかのぼることができない。なぜなら、もし、そうであるとすれば、動かすもの(原因)の系列は完結せず、したがって、動かされるもの(結果)が生じてくることもなかったからである。

 それゆえ、他のものによって動かされることがなく、他のものを動かす第一の原因がなければならない。この第一原因が「不動の第一動者」である。「原因の系列を無限にさかのぼることはできない〔=停止の必然性(アナンケー・ステーナイ)〕」とする思考過程はアリストテレス哲学の随所にみられるものであって、それは一定のものの現象の根拠に一定の原因の存在を要請する合理的思考の要求による。『形而上(けいじじょう)学』では、この第一の動者が動かされることなくして他のものを動かす仕方は「愛されるものとして(ホース・エローメノン)」といわれている。それは可能態から現実態への運動変化としてある自然を、究極に根拠づける純粋の現実態としての神なのである。

目的因(もくてきいん) (ト・フー・ヘネカto hū heneka)
 形相因、質料因、始動因とともに四種の原因の一つ。存在事物の生成、または、運動変化がそれを目ざして行われ、そこに至るとき完成される終極目的(テロス)をいう。生成、変化の事象そのものに即して、これをある一定の方向に向かうものとして限定している根拠であって、かならずしも意図として把握されることを要しない。人工物においても、自然物においても、その完成された形態(エンテレケイア)がそれである。結果である生成、変化に対する「未然性」をその特徴とする。ラテン語ではcausa finalisという。行為の場面では、行為がそれを目ざしてなされる終極目的、行為者が「善(アガトン)」として選択するものである。

 近代になって、目的因を自然物の生成、変化の原因とすることは自然の擬人化であるとして退けられた。だが、アリストテレスの場合には、〔1〕目的因がかならずしも意図された目的ではないこと、〔2〕自然が技術を模倣するのではなく、むしろ、技術が自然を模倣すると考えられていることが留意されるべきである。自然の形相的、構造的、全体的な把握がこの目的論の基盤をなすのである。

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

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