アルティン(読み)あるてぃん(英語表記)Emil Artin

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アルティン」の意味・わかりやすい解説

アルティン
あるてぃん
Emil Artin
(1898―1962)

ウィーン生まれの数学者。20世紀前半におこった「抽象数学」の先駆者の一人。その方法により、数論トポロジーなどの分野に大きな足跡を残した。数論では「一般相互法則」を証明して、高木貞治(ていじ)による「類体論」を完成した。トポロジーでは「結び糸の理論」を創始した。1926年よりハンブルク大学教授、1937年ナチスに追われてアメリカに渡り、1946~1958年プリンストン大学教授、1958年ドイツに帰り、ふたたびハンブルク大学で教鞭(きょうべん)をとった。この間、1955年(昭和30)には、東京と栃木県日光で開かれた代数的数論についての国際会議に参加し、数論上の研究を報告するとともに、結び糸についての一般講演を行った。

[彌永昌吉]

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改訂新版 世界大百科事典 「アルティン」の意味・わかりやすい解説

アルティン
Emil Artin
生没年:1898-1962

オーストリアの数学者。ウィーンで生まれ,ボヘミア(現,チェコ領内)で育ち,ライプチヒ大学で1921年に学位を得た。ゲッティンゲン大学で1年を過ごした後,23年からハンブルク大学に移り,37年にアメリカに渡り,ノートルダム大学,インディアナ大学を経て,46年にプリンストン大学に移った。58年にドイツへ帰り,世を去るまでハンブルク大学で教えた。数学的業績は多様である。代数体のガロア拡大に関するアルティンのL関数ディリクレL関数の一般化)を導入し,代数体のアーベル拡大の一般相互法則と呼ばれるものを証明し,高木貞治の築いた類体論を完成した。また,実体の理論を築いてヒルベルトの第17問題(定符号の関数を平方和として表すこと)を解いた。極小条件を満たす環の研究も著名で,アルティン環という名称が用いられている。結び目の理論についても著しい業績がある。
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百科事典マイペディア 「アルティン」の意味・わかりやすい解説

アルティン

オーストリアの数学者。ウィーンで生まれ,ライプチヒ大学で1921年に学位を取得。ゲッティンゲン大学を経て1923年からハンブルク大学。1937年に米国に渡り,1946年にプリンストン大学に移った。1958年にドイツへ帰り,ハンブルク大学で教鞭をとる。代数体の研究を発展させ,高木貞治の築いた類体論を完成した。結び目理論についても業績がある。

アルティン[山脈]【アルティン】

アルトゥン[山脈]

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世界大百科事典(旧版)内のアルティンの言及

【ロシア】より


[貨幣制度]
 度量衡はロシア革命後の1918年からメートル法を採用しているが,それ以前は表のような単位を用いていた。 貨幣の単位は18世紀以来一貫して1ルーブルrubl’=100コペイカkopeikaの単位を用いてきたが,鋳造された銅貨や銀貨について,たとえば3コペイカ銅貨がアルティンaltyn,5コペイカ銅貨がピャタチョークpyatachok,10コペイカ銀貨がグリベンニクgrivennikと呼ばれるなど,それぞれに異名があった。1769年からアシグナーツィアassignatsiyaと呼ばれる紙幣が発行されたが,その価値は基準貨幣である銀貨に対して下落しつづけ,1812年には4紙幣ルーブル=1銀ルーブルに換算された。…

※「アルティン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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