日本大百科全書(ニッポニカ) 「ヒルベルト」の意味・わかりやすい解説
ヒルベルト
ひるべると
David Hilbert
(1862―1943)
ドイツの数学者。ケーニヒスベルク(現、ロシア領カリーニングラード)に生まれ、1880~1884年ケーニヒスベルク大学に学んだ。同大学での友人にミンコフスキーがおり、また1884年に助教授として着任したフルウィツAdolf Hurwitz(1859―1956)から多くのことを学んだ。ミンコフスキー、フルウィツと数学について論じ合ったことが大きな影響を与えた。1885年に学位を得ると、1年間ライプツィヒ、パリに遊学、帰国して1886年に母校の私講師になった。フルウィツは1892年にスイスのチューリヒ大学へ移るが、それまでの8年間、フルウィツの教えを受け、フルウィツの後を継いでケーニヒスベルク大学教授となり、1895年にはF・クラインの招きでゲッティンゲン大学教授となり、生涯をここで送った。
業績は数学の全分野にわたるが、年代別には次のようになる。まず1885~1893年は代数的形式論を研究し、不変式は有限個の基底からできていることをきわめて一般的に証明、また今日の代数幾何学での基本定理の一つ、零点定理もこの形式論のなかで証明された。1894~1898年、代数的数論を研究、有名な「数論報告」(1896)を完成し、類体論への基礎を固めた。1899~1903年の業績は幾何学基礎論への貢献である。1899年出版の『幾何学基礎論』Grundlagen der Geometrieは、20世紀の数学において抽象化へ踏み出す動機を与えたもので、数学思想史上の画期的な仕事である。1900年パリで開かれた第2回国際数学者会議で「数学の問題」という講演を行い、23の未解決の問題を出した(ヒルベルトの問題)。代数学、幾何学、解析学などの広い分野にわたるこれらの問題は数学者の関心をひき、20世紀の数学の発展にとって大きな契機を与えた。1904~1912年は解析学への貢献である。積分方程式を無限次元の一次連立方程式として考え、無限次の一次変換や、二次形式論を構成しながら、今日のヒルベルト空間の基礎を確立した。1913~1922年は理論物理学を詳しく研究し、1922年以降は数学基礎論の研究を行った。形式主義の立場をとり、数学を支配している論理を詳しく調べ研究した。著書にアッケルマンWilhelm Ackermann(1896―1962)との共著『理論論理学の基礎』Grundzüge der Theoretischen Logik(1928、1948改訂)、ベルナイズPaul I. Bernays(1888―1977)との共著『数学の基礎Ⅰ・Ⅱ』Grundlagen der Mathematik Ⅰ,Ⅱ(1934、1939)などがある。
[井関清志 2018年10月19日]
『C・リード著、彌永健一訳『ヒルベルト――現代数学の巨峰』(1972・岩波書店/岩波現代文庫)』