アレクサンデル3世(読み)アレクサンデルさんせい(その他表記)Alexander III

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アレクサンデル3世」の意味・わかりやすい解説

アレクサンデル3世
アレクサンデルさんせい
Alexander III

[生]1105頃. シエナ
[没]1181.8.30. ローマ
イタリア人の教皇在位 1159~81)。本名 Rolando Bandinelli。ボローニャ大学で教会法を講じ,ピエール・アベラールの影響を受けた重要な著作『ロランドゥス命題集』Sententiae Rolandiを著した。1150年枢機卿(→カーディナル)。フリードリヒ1世と激しく対立し,皇帝派の対立教皇による 17年間の離教を招いた。皇帝の圧力のためフランスに逃れたが,教皇側のロンバルディア同盟軍が戦勝し,1177年ベネチア和約で皇帝の野望をくじいた。イギリスの大司教トマス・ベケットヘンリー2世の対立では大司教を支持,トマス・ベケット殺害のかどで国王を破門クラレンドン法 16ヵ条を撤回させた。教皇権高揚の一連の努力は,1179年ラテラノ公会議で対立教皇を防ぐための 3分の2の多数決による教皇選挙法として結晶。しかしまもなく貴族の反抗にあい,ローマを追われた。その道徳的偉大さは敵の尊敬さえかちえたという。

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改訂新版 世界大百科事典 「アレクサンデル3世」の意味・わかりやすい解説

アレクサンデル[3世]
Alexander Ⅲ
生没年:?-1181

ローマ教皇。在位1159-81年。最初はボローニャ大学教授。皇帝フリードリヒ1世の推す対立教皇ウィクトル4世との間に17年間離教(シスマ)が続き,その間おもにフランスに滞在。1179年彼が招集した第3ラテラノ公会議は教皇選挙法の改正,異端対策,パリ大学の成立に大きな役割を果たした。法学者としての名声も高く,また北イタリアの都市アレッサンドリアの名はロンバルディア都市同盟への彼の熱烈な支援を今に記念するものとなっている。
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世界大百科事典(旧版)内のアレクサンデル3世の言及

【ラテラノ公会議】より

…(2)第2回(1139) 教会改革のためインノケンティウス2世Innocentius IIによって召集され,アナクレトゥス2世Anacletus IIの離教やブレシアのアルノルドゥスArnoldusの教義に対し非難決議を行った。(3)第3回(1179) アレクサンデル3世Alexander IIIによって皇帝フリードリヒ1世(バルバロッサ)との〈ベネチアの和議〉を確認するため開催。(4)第4回(1215) インノケンティウス3世Innocentius IIIによって召集され,異端鎮圧や第4回十字軍をはじめ,神学,典礼,教会法など多くの議題が論議された。…

※「アレクサンデル3世」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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