アレサンドリ・パルマ(英語表記)Alessandri Palma, Arturo

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アレサンドリ・パルマ」の意味・わかりやすい解説

アレサンドリ・パルマ
Alessandri Palma, Arturo

[生]1868.12.20. ニナレス
[没]1950.8.24.
チリの法律家,政治家。大統領 (在任 1920~25,32~38) 。自由党の指導者。イタリア系。 28歳から下院議員,1913年蔵相,19年内相。労働者階級の支持を得て,20年大統領選挙に当選。進歩的諸政策を進めようとしたが,多数を占める保守党議員の反対改革が成らず,24年一時イタリアに亡命。 25年 C.イバニェスに呼戻され,チリ民主政治の基となる新憲法の作成に貢献。同年 10月のクーデターで再び亡命。世界大恐慌の大打撃から政治的混乱に陥ったなかで,32年再度大統領に選出されたが,この第2期政権大衆の期待を裏切る保守的なもので,チリ経済の回復といったことに重点がおかれた。

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20世紀西洋人名事典 「アレサンドリ・パルマ」の解説

アレサンドリ・パルマ
Arturo Alessandri Palma


1868 - 1950
チリの政治家。
元・チリ大統領。
リナレス州ロンガビー生まれ。
1893年に弁護士となり政界進出、1897年に自由党下院議員に初当選し、’20年に自由党の一部、急進党民社党からなる自由同盟より大統領選に出馬、当選した。’24年に労働法を確立、政治、経済の近代化を進めたが、同年9月のクーデターで亡命した。’25年のクーデターで復帰し、「1925年憲法」を制定したが、国防相イバニエスと対立し辞職した。’32年に大統領に再選され、大恐慌期に経済安定対策を打ち出したが、支持を失った。’38年辞任。大統領ホルヘ・アレサンドリ(在職1958年〜64年)の父。

出典 日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」(1995年刊)20世紀西洋人名事典について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「アレサンドリ・パルマ」の解説

アレサンドリ・パルマ
Arturo Alessandri Palma

1868~1950

チリの大統領(在任1920~24,25,32~38)。弁護士から1897年自由党下院議員として政界に入り,1920年の大統領選に急進・民主両党および自由党の一部からなる自由同盟から当選した。チリで最初の中間階級主体の政権であった。社会保障,女性参政権などの改革案は議会での反対にあい,24年のクーデタで亡命,翌年復帰した。大統領権限の強化,政教分離などを規定した1925年憲法を制定した。32年大統領に再選されたが,保守派寄りの立場に後退した。58~64年大統領を務めたホルヘ・アレサンドリの父。

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