イバニェス(英語表記)Carlos Ibañez del Campo

デジタル大辞泉 「イバニェス」の意味・読み・例文・類語

イバニェス(Ibáñez)

ブラスコ=イバニェス

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改訂新版 世界大百科事典 「イバニェス」の意味・わかりやすい解説

イバニエス
Carlos Ibañez del Campo
生没年:1877-1960

チリの政治家。リナレス市生れ。生粋軍人であったが,1924,25年のクーデタに参加して政界に入った。25年国防相,27年内相,同年副大統領を経て大統領に当選した。ムッソリーニを崇拝し,保守派の大統領として独裁的権力をふるったが,行政・軍・警察組織を近代化し,29年ペルーとの国境紛争を解決した。31年大恐慌の余波による混乱期にゼネストで追われ亡命。37年に帰国し,ナチ的組織と結んで政治活動をつづけた。49年上院議員,52-58年大統領に再選され,金融・保険・選挙制度を改革インフレ防止につとめ,48年以来の共産党非合法化法を58年に廃止した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「イバニェス」の意味・わかりやすい解説

イバニェス
いばにぇす
Carlos Ibáñez del Campo
(1877―1960)

チリの軍人、政治家。軍人の道を歩んだのち、陸軍大臣、副大統領を経て、1927年に事実上のクーデターで大統領に就任。強権的な政治体制を敷き、欧米諸国からの多額な借款で広範な公共事業を行い、経済に繁栄をもたらした。またその一方で、進んだ労働法を実施し、農地改革にも着手した。しかし、世界恐慌の影響で政策が行き詰まり、1931年に大統領の地位を追われてアルゼンチンに亡命(1931~1937)。帰国後も政治活動を続け、1952年の選挙で大統領に復帰したが(1952~1958)、経済情勢の悪化により、綱領で掲げた労働者の経済的救済も実現できぬまま政権から去った。「鉄の男」とよばれた強烈な個性の持ち主であった。

[加茂雄三]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「イバニェス」の意味・わかりやすい解説

イバニェス
Ibañez (del Campo), Carlos

[生]1877.11.3. リナレス
[没]1960.4.28. サンチアゴ
チリの軍人。大統領 (在任 1927~31,52~58) 。 30年に及ぶ軍人生活ののち,A.アレサンドリ・パルマのもとで国防相をつとめたが,1924年クーデターを起し実権を握った。 27年大統領となり労働立法などの諸改革を行なった。しかし 31年世界恐慌の波に襲われて政権は崩壊し 37年まで亡命。 52年の大統領選挙でチリナショナリズムに訴え,右翼的大衆の支持を得て奇跡的に再選されたが,インフレの高進とストライキの続発でチリ経済はさらに悪化した。

イバニェス

「ブラスコ・イバニェス」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内のイバニェスの言及

【チリ】より

… 1920年には都市資本家層と労働者との支援のもとにA.アレサンドリ政権が登場し,地主,教会などに代表される保守勢力を抑えて,政教分離,労働三法の制定などを骨子とする進歩的な1925年憲法が採択された。しかし,この時期にはまだ資本家層と労働者の力は,ともに十分でなく,27年にはイバニエス保守独裁政権が成立した。 29年の世界大恐慌は一次産品の輸出国であるチリに甚大な被害をもたらし,イバニエス政権は31年に崩壊,政治的混乱が続いたが,32年アレサンドリ第2次政権以降,チリの政治は安定した。…

※「イバニェス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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