日本大百科全書(ニッポニカ) 「アンティゴノス」の意味・わかりやすい解説
アンティゴノス(1世)
あんてぃごのす
Antigonos Ⅰ
(前382?―前301)
マケドニア貴族でアレクサンドロス大王の部将の一人。「隻眼」(モノフタルモスMonophthalmos)とあだ名される。東征に出陣したが、そうそうに占領地フリギアのサトラップ(総督)に任ぜられ(前333)、小アジアにとどまった。ディアドコイ戦争においては、帝国遺領の再統一を望んだため、分離派の諸将カッサンドロス、リシマコス、セレウコス、プトレマイオスの共同反撃を受けた。紀元前307年息子デメトリオス(1世)がアテネを解放。自身も前306年キプロス島サラミス沖にプトレマイオスを破ったのを機に、対抗者たちに先駆けて同年息子ともどもマケドニア王を称したが、前301年イプソスの戦いに敗死。都市建設ではオロンテス河畔に自らの名を冠したアンティゴネイアをつくった。
[金澤良樹]
アンティゴノス(2世)
あんてぃごのす
Antigonos Ⅱ
(前320/319?―前239)
ヘレニズム時代のマケドニア王(在位前276~前239)。アンティゴノス朝第3代であるが、同朝マケドニア王国の実質的な開基者。あだ名ゴナタスGonatasは出生地ゴンノイにちなんでつけられたらしい。父デメトリオス1世の死後マケドニア王を称した(前283)が、実の王位はリシマコス、ついで「稲妻(ケラウノス)」プトレマイオスにあった。紀元前277年侵入したケルト人に後者が敗死したあと、ケルト人を討って名声をあげ王位を得た。彼はゼノン門下のストア学徒で王位を「名誉(エンドク)な奴隷奉公(ソス・ドウレイア)」といったという。
[金澤良樹]