アンボン事件 (アンボンじけん)
インドネシア東部バンダ海の小島アンボンで1623年2~3月に起こったオランダ,イギリス両国商館間の紛争。2月末にイギリス商館の日本人傭兵がオランダ商館の様子を調べているのに不審を抱いたオランダ商館長は,イギリスの商館長以下全員を捕らえて拷問を加えた。苦しみに耐えかねた捕虜はついにオランダ商館襲撃の陰謀を企てていたことを自供したので,オランダ商館長は3月9日にイギリス人10人,日本人9人,ポルトガル人1人を処刑した。しかし自供の信頼性は疑問とされる。イギリス本国政府は大いに抗議し,外交交渉の結果,オランダは54年に賠償金を支払ったが,最終的解決は第2次英蘭戦争後のブレダ条約(1667)まで持ち越された。この事件でイギリスは香辛料の産地であるインドネシア東部に根拠地を失い,ジャワ西部からも撤退して,インド進出に専念した。
執筆者:永積 昭
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「アンボン事件」の意味・わかりやすい解説
アンボン事件【アンボンじけん】
アンボイナ事件とも。オランダ東インド会社の設立後,香料貿易をめぐる英国との競争が激化したが,1623年オランダ官憲はインドネシア東部のアンボン島でオランダ要塞(ようさい)占領の陰謀ありとして英国人すべて,日本人傭兵(ようへい)9人ら約50名を捕え,拷問,20名を処刑した。オランダは1654年賠償金を支払ったが,1667年のブレダ条約でようやく解決。事件以後,英国はインドネシアから撤退,インド進出に専念した。
→関連項目モルッカ[諸島]
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アンボン事件
アンボンじけん
アンボイナ事件とも。1623年マルク(モルッカ)諸島(現,インドネシア)のアンボン島でイギリス人らがオランダ人に殺害された事件。同島ではオランダが丁子(ちょうじ)貿易の独占を求めてポルトガル人を駆逐したのち,1619年の英蘭同盟により両国が共存していた。しかしオランダ商館に捕らえられたイギリス商館の日本人傭兵の自白からイギリス側の攻撃計画が露見,イギリス商館長以下21人が処刑された。この結果,イギリスは東南アジアから撤退した。
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世界大百科事典(旧版)内のアンボン事件の言及
【大航海時代】より
… イギリスは1600年に東インド会社を設立してアジアへの進出を始めた。しかしイギリスはオランダとの競争に敗れ,23年の[アンボン事件]を契機として東アジア,東南アジアから撤退し,インドにその活路を求めた。 24年前後から50年までがオランダの海上進出の最もさかんな時期であった。…
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