イギリス=エジプト同盟条約(読み)イギリス=エジプトどうめいじょうやく(英語表記)Anglo-Egyptian Treaty

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説

イギリス=エジプト同盟条約
イギリス=エジプトどうめいじょうやく
Anglo-Egyptian Treaty

1936年8月 26日,イギリスエジプトの間で 20年の期間を定めて結ばれた条約。 35年 10月のエチオピア戦争勃発にみられるような,アフリカ北東部におけるイタリアの侵略活動に危機を感じたイギリス,エジプト両国は,(1) イギリスの対エジプト軍事占領を正式に終らせる,(2) ただしエジプト軍がスエズ運河の安全を自力で保障できるようになるまでイギリスは陸,空軍運河地帯に駐屯させる,(3) スーダンに対する両国の共同統治はこれまでどおり続ける,(4) エジプトにおける外国権益と少数民族の保護にはエジプト政府が責任をもつ,などを内容とする同盟条約締結。エジプトは 22年2月にイギリスから独立したものの,スエズ,スーダンにおけるイギリス権益は依然として保持され,軍隊の駐留権,治外法権も残されるなど,独立は名目的なものにすぎなかったが,同条約によって,独立はかなり実質的なものとなり,37年5月には治外法権も廃止され,国際連盟加入も認められるにいたった。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 の解説

イギリス−エジプト同盟条約
イギリス−エジプトどうめいじょうやく

1936年8月エジプトがイギリスと結んだ同盟条約
1922年,イギリスは保護権を放棄してエジプト王国の独立を認めていたが,その後の世界恐慌民族資本の成長による民族運動激化背景として,エジプトに完全な主権を認め,イギリス軍と官吏退去を定めた。ただし,スーダンとスエズ運河地帯の駐兵権アレクサンドリア海軍基地を許すなど,イギリスの軍事行動が大幅に認められた。なお,イギリス軍の完全撤退は1954年1月に決定され,1956年6月実施された。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

世界大百科事典(旧版)内のイギリス=エジプト同盟条約の言及

【ファールーク[1世]】より

…父フアード1世の死後王位を継ぐが未成年であったため翌37年7月に正式に即位。第2次大戦とともにイギリスはイギリス・エジプト同盟条約に基づくエジプトの対英協力を不可欠としたが,ファールーク1世は条約締結後親英派に転じていた議会第一党のワフド党に政権担当を許さず,その結果42年2月イギリスは国王にナッハース親英政権承認を強要するという内政干渉に出た。第2次大戦後,イギリス・エジプト同盟条約廃棄を求める国民的反英闘争高揚の中で,国王は対英交渉を妥協的立場の宮廷取巻きの政治家に任せた。…

※「イギリス=エジプト同盟条約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android