日本大百科全書(ニッポニカ) 「イスラム神学」の意味・わかりやすい解説
イスラム神学
いすらむしんがく
アラビア語ではカラームKalāmという。カラームとは元来、ことば、議論、思弁、論証の意である。これから、神についての論証の学である神学に用いられるようになったとも、あるいは神学において最初に激しく議論されたテーマが神のことばであるコーランの被造性の問題であったからともいわれる。また、神の属性、本質をめぐる「神の唯一性」の問題が主要なテーマであったところから、イスラム神学は「神の唯一性の学」(イルム・アルタウヒード‘Ilm al-Tawīd)ともよばれる。つまり、カラームとは論証をこととする思弁神学のことである。元来、イスラム教の実践的性格とその教義の平明さから、コーランやハディース(預言者の言行として伝えられる伝承)の文字どおりの解釈を重視する保守的な学者や民衆の間には、神学的思弁や論証は不用であり、たとえ正統的信条を弁護するためであっても、もともとなかった「新奇なもの」、つまりビドア(異端)であるとして反発する傾向が根強かった。それは、カラームが理性の学問であり、その立場からさまざまな新しい概念を持ち込んで啓示の内容について議論することは、必然的に啓示の理性への従属化を招くとの危惧(きぐ)があったからである。したがって、カラームの内容は教義の説明であるよりも、異端、異説や異教に対する護教の学としての性格が強い。
[中村廣治郎]
カラーム発生の基盤
厳密な意味でのカラームは、ムゥタジラ派とともに始まる。この派は通常、8世紀前半のワーシル・イブン・アターとアムル・イブン・ウバイドを祖としているが、真に思弁神学として登場してくるのはその約1世紀後である。とくに9世紀の初め、アッバース朝カリフ・マームーンはこの派を政府公認の神学として強制したが、やがて失敗し、この派は異端となる。
カラーム発生の背景として、四つの問題があげられる。まず第一に、ハワーリジュ派が過激な反体制運動によって提起した信仰と罪、救済と行為の関係、これとの関連での現体制の正当性の是非、という現実的な問題があった。ハワーリジュ派は「信仰=行為」とし、大罪によって信仰は消滅するとの立場から「不正なる」現体制を否認した。これに対してムルジア派は、大罪者についての判断は神の審判にまつべきだとし、それまでは大罪者も信仰者として受け入れるべきだとの立場をとる。こうしていちおう信仰と行為を切り離し、現体制を擁護することになった。第二に、これと密接な関係にあるのが人間の「自由意志」と「予定」(人間の行為は、神の意志として予(あらかじ)め定められている、ということ)の問題である。コーランにはこの両方の主張が併存しているが、アラブに伝統的な運命観とイスラム教で強調される神の力の絶大性とが結合して、初期ムスリム(イスラム教徒)の間に著しい予定説的傾向を生み出した。この傾向を極端な形で代表するのがジャブリー派である。この派の考え方が現実の体制を不可避的として甘受させる作用を果たしたのに対し、共同体の現状を批判するカダリー派は、人間の自由意志と倫理的責任、神の正義を強調した。第三が、聖典解釈の問題である。コーランやハディースには、神についての擬人的感覚的表現が多い。これを神の唯一性にふさわしいようにいかに解釈するかである。ハシュウィー派は聖典の表現を文字どおり解して神を人間と同様に理解した。これに対してジャフミー派は、そのような表現を比喩(ひゆ)として解釈した。第四に、異教徒、とくにキリスト教徒やマニ教徒との論争があり、ギリシア語文献の翻訳の影響があった。
[中村廣治郎]
ムゥタジラ派の確立
以上のような接触や影響によって得た新しい概念によって、共同体内に提起されたさまざまな問題を一貫した体系のなかで解決しようとするのが、カラームであり、その最初の代表がムゥタジラ派である。ハンバリー派に代表される伝統主義的保守派が、理性と啓示の「矛盾」に際しては、理性的判断を中止して啓示をそのまま「様態のいかんを問わず」受け入れたのに対して、ムゥタジラ派はこれを理性によって説明しようとした。こうしてムゥタジラ派は神の唯一性の問題については、ジャフミー派の流れを継ぎながら神の超越性を強調し、神の本質におけるいっさいの多性を否定する絶対的唯一性の立場から神の属性を否定し、それを本質に還元した。他方、神の正義については、カダリー派の流れを継いで理性の立場から、人間の不正、罪、悪は神とは無関係であり、人間自身の行為であるとして人間の自由意志を説いた。こうしてムゥタジラ派は多くの伝統的信条を否定することになった。
[中村廣治郎]
アシュアリー派のカラーム
ムゥタジラ派のあまりにも合理主義的立場に対する反動として出てきたのが、同じく思弁を用いつつも伝統的信条を弁護したアシュアリー(873―935)とその一派である。アシュアリー派は、まず神の唯一性の問題については、神の本質とは「同じではないが、別のものでもない」ものとして、本質に永遠に内在する属性を認め、神の人格性と超越性を調和させようとする。神の正義については、ムゥタジラ派が理性による善悪の一般的判断を可能とするのに対して、アシュアリー派は善悪の判断は啓示によってのみ知りうるとの立場をとる。さらに神の絶対性を強調する予定説の立場から、これを人間の倫理的責任と調和させようとして、人間は神の創造した行為を獲得するという「獲得」説を主張する。アシュアリー派とほぼ同じ立場ながらも、理性をやや重視するのがマートゥリーディー派である。この両者がのちに正統神学として確立する。
元来、カラームは「哲学」(ファルサファ)とは別であるが、11世紀末、アシュアリー派のガザーリー(1058―1111)が哲学を批判、吸収して以来、徐々にその思弁の度は深まり、ますます哲学に接近する。
[中村廣治郎]
『井筒俊彦著『イスラーム思想史』(1975・岩波書店)』