イスラム教スンニー派の神学者、宗教思想家。ラテン名アルガゼルAlgazel。イランのトゥースに生まれ、ネイシャーブールの神学校でアシュアリー派神学の巨匠イマームル・ハラマインに師事し、神学、イスラム法学を学ぶ。
早くから学者としての名声高く、セルジューク朝の宰相ニザーム・アルムルクの推挙により、当時スンニー派世界の最高学府であったバグダードのニザーミーヤ学院の教授となる。ここでスンニー派護教学者としてシーア諸派に対する批判の書を著したり、ヘレニズム哲学を研究、その批判の書を書いたりした。こうして教師、研究者、護教論学者として多忙を極める生活を送るうちに深刻な精神的苦悩に陥り、一種の失語症になる。1095年に教職を去り、いっさいを放棄して遍歴のスーフィー(イスラム神秘家)となり、中東各地を放浪した。それは霊魂の苦悩をいやすための旅であった。やがて真の信仰を体得して故郷のトゥースに帰り、著述と瞑想(めいそう)に専念する隠遁(いんとん)生活に入り、52歳でこの地に没した。
実生活においても、精神的にも波瀾(はらん)に富む生涯を送ったガザーリーの思想はさまざまな側面をもっている。しかし、晩年に至って、主体的神体験を根拠とした独自の宗教思想を確立している。それはイスラム神秘思想から多くの影響を受けているが、神人合一思想のような極端な説を退け、人間精神の詳細な分析による自己認識の徹底を通し神認識に至る方法を開発している。このガザーリーの思想は、それ以後のスンニー派世界の思想的動向を決定的に規定している。また、このような宗教思想を完成する過程で書かれたヘレニズム哲学批判の書『哲学者の自己矛盾』は、スンニー派世界における哲学研究に致命的な打撃を与えた。著作はアラビア語、ペルシア語によってなされ、おびただしい数に上るが、『宗教諸学の再生』『幸福の錬金術』『哲学者の自己矛盾』『誤謬(ごびゅう)よりの救済』などが有名である。
[松本耿郎 2018年4月18日]
イスラム史上最も偉大な思想家の一人。ガッザーリーGhazzālīとも呼ばれる。ラテン名アルガゼルAlgazel。ホラーサーンのトゥースに生まれ,ニーシャープールのニザーミーヤ学院で当代の碩学イマーム・アルハラマインのもとでシャーフィイー派法学,アシュアリー派神学をはじめ,イスラム諸学を学ぶ。師の没後,セルジューク朝のワジール(宰相),ニザーム・アルムルクのもとに身を寄せ,やがてその抜群の才能と学識を認められて,1091年イスラム世界の最高学府であった首都バグダードのニザーミーヤ学院の教授として赴任した。こうしてスンナ派イスラムを代表する学者として,学院での講義のほか,イスマーイール派や哲学の異端・異説の批判に八面六臂の活躍をする。しかし,やがて深い懐疑に陥り,95年教授の地位を捨て,家族とも別れて,一介のスーフィーとして放浪の旅に出た。2年後には郷里に引退してスーフィーの修行を続け,少数の弟子を指導するかたわら,著述に専念した。イスラム哲学に壊滅的打撃を与えた彼の哲学批判はよく知られているが,彼が哲学から受けた影響もまた大きい。とくにアリストテレスの論理学についてはこれを全面的に受け入れ,その倫理学については,その目的を現世における真理の観想から来世における〈見神〉へとイスラム化し,これをイスラム神秘主義の修行論として位置づけた。こうしてイスラム神秘主義こそ真理に至る道であるとして,この観点からイスラム諸学を再解釈し,再興しようとした。著書は非常に多いが,《宗教諸学のよみがえり》《哲学者の意図》《哲学者の矛盾Tahāfut al-falāsifa》《迷いからの救い》などがとくに重要である。
執筆者:中村 廣治郎
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1058~1111
イスラームの神学者,神秘思想家。ラテン名はアルガゼル。ホラーサーンのトゥースの生まれ。法学と神学とを修め,1091年,ニザーム・アルムルクによってバグダードのニザーミーヤ学院の神学教授に任命された。余暇に哲学を研究したが,信仰と理性との矛盾を感じて絶望し,95年,職を辞して故郷に帰り,デルヴィーシュとしての生活を開始した。彼はスンナ派神学に神秘的要素を導入するとともに,スーフィズムから汎神論的な傾向を一掃した。著書に『哲学者の破滅』『宗教科学のよみがえり』などがある。
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…イスラム神秘主義は,シャリーアの形式主義化に対する反動として生じ,神秘主義者はこのような結果を招いたものとしてウラマーを非難し,両者の関係は緊張していた。アシュアリー派の神学者ガザーリーは,イブン・シーナーの哲学を批判的に摂取するとともに,信者の最高の霊的体験としてのファナーfanā’を高く評価し,人格的な神秘的宗教体験のうえにスンナ派神学を再建した。ガザーリーこそ,神学者の敬虔さと哲学者の厳密な方法論,そして神秘主義者のひたむきな神への情熱を一身に統一し,イスラム思想に完成をもたらした人といえよう。…
…ところがイスラム教徒の中にも,もっと積極的に音楽や舞踊そのものを典礼の中にとり入れ,これに陶酔することによってアッラーへの帰一を達成しようと考える一派がある。スーフィーと呼ばれる神秘主義者がそれで,11世紀の神学者ガザーリーの音楽擁護論がその隆盛の誘因となったといわれるが,いわゆるスーフィー教団では修道者(デルウィーシュ)たちが,ジクル(アッラーの名を繰り返し称えること)やサマー(音に聴き入ること)などの儀式において,ひたすら歌い踊ることによって神秘的体験を得て,魂を浄化し,信仰を深める。音楽的見地から重要なスーフィーの伝統として,今日トルコを中心に伝承されているメウレウィー教団の典礼を挙げることができる。…
…イブン・シーナーの存在論・宇宙論は,やがて十二イマーム派の神学に摂取される。スンナ派の神学者ガザーリーは,《哲学者の矛盾》を著してイブン・シーナーらの哲学者の説の主要部分を分析批判し,あわせてシーア派神学の根拠を論破しようとしている。ガザーリーの哲学批判以後スンナ派世界では,イベリア半島のイスラム教国におけるイブン・ルシュドのアリストテレス研究を除いて,あまりみるべき業績がなくなった。…
…これは新プラトン主義哲学やキリスト教からのみならず,ヒンドゥー教や仏教からも影響を受けて成立したといわれる。11世紀に活躍したイスラム最大の神学者であり同時に神秘家であるガザーリーによれば,スーフィーたる第1の条件は魂から神ならざるいっさいを引き離すこと,第2に燃えるような魂から発する謙虚な祈り(ドゥアー)と神の瞑想への集中である。こうして魂は神のうちに吸収されてゆく。…
… 宮廷ではペルシア語が使われ,ペルシア文学,イスラム諸学の黄金時代を迎えた。詩人では,ウマル・ハイヤーム,アンワリー,神学者ではガザーリーが名高く,彼はまた,政治理論として,スルタンとカリフの相互依存関係を説いた。官僚としてはイラン人が登用された。…
※「ガザーリー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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