日本大百科全書(ニッポニカ) 「ネンニ」の意味・わかりやすい解説
ネンニ
ねんに
Pietro Nenni
(1891―1980)
イタリアの政治家、社会主義者。ファエンツァの貧農出身。17歳で共和主義者になり、第一次世界大戦直前のマルケの暴動(赤色週間)にマラテスタErrico Malatesta(1853―1932)とともに参加して逮捕された。参戦論者として従軍し、負傷して帰国後ジャーナリストになった(1917~1919)。1921年春、社会党に入党。セルラーティGiacinto Menotti Serratiの去ったあとの『アバンティ』紙編集長の地位につき(1923~1925)、共産党との合同に反対し、トゥラーティの統一社会党との合同に賛成した。ムッソリーニ政権の国家防衛法施行とともにパリに亡命し(1926)、社会党の書記、社会主義インターの執行委員として反ファシストの統一のために活動。統一社会党との合同(1930)、共産党との行動統一協定(1934)を実現し、国際旅団の政治委員としてスペイン内戦に参加(1936~1939)。第二次世界大戦中フランスでドイツ軍に逮捕され、イタリア当局に引き渡され、ポンツァ島に抑留された(1943)。ムッソリーニ政権崩壊後、解放され、再建社会党の代表としてローマの国民解放委員会に参加。1944年春トリアッティのサレルノ政策に反対し、バドリオ政府への入閣を拒否した。第二次世界大戦後パルリ政府の副首相をはじめ数次に及ぶデ・ガスペリ政府の閣僚、制憲議会議員などの要職を歴任。再建社会党の書記長として1956年まで共産党との共闘路線を続けたが、同年秋のハンガリー事件以後、共産党からの分離・独立の路線を推進するとともに中道左派政権を構想し、モーロ政府に始まる中道左派政権に副首相として入閣し(1963~1966)、その後ルモール内閣では外相を務めた(1968~1969)。1970年終身上院議員に選ばれ、また社会党議長に就任した。主著に『四年間の歴史』(1926)、『非スターリン化以後の社会主義の展望』(1962)がある。
[重岡保郎]