イスラム最大の神秘主義思想家。「宗教の再生者」とも「最大の師」ともよばれる。スペインに生まれ、早くから各地を旅行し、多くのスーフィー(神秘家)と親交があった。1202年に神命を受け、メッカへ巡礼の旅に出立、以後故郷に戻らず、エジプト、ヒジャーズ、イラク、トルコを転々とし、ダマスカスで没した。
彼の著作は疑わしいものを含めて800以上とおびただしいが、大部分は写本のままである。代表作は560章の大作で神秘主義の百科事典といえる『メッカ啓示』と、晩年の著作『叡知(えいち)の宝石』で、後者には100を超える註釈(ちゅうしゃく)書が書かれた。彼の著作は、大部分が神秘的体験に基づいて一気呵成(かせい)に書かれたものであり、『メッカ啓示』は天使から、また『叡知の宝石』は預言者ムハンマド(マホメット)から教授されたものであるという。彼の文体は、独得の術語を多く含み、逆説、飛躍、脱線、暗示に満ちており難解である。その内容は、彼以前の哲学、神学、スーフィズム(神秘主義)の伝統のみならず、占星術、聖数論(数字の神秘的解釈学)やカバラ的な文字象徴学を含む。また随所にハディースやコーラン章句の寓意(ぐうい)的解釈や、自作の哲学詩や、プラトン流の神話を含むなど雑然としたものである。
しかしその思想は、基本的にはネオプラトニズムを基礎にした存在一性論(いっせいろん)とよばれる形而上(けいじじょう)学と、奔放な想像力とが渾然(こんぜん)と融合しているといえる。存在一性論とは、絶対存在であり一者である神が、まず多の原理である神名として、さらに存在のもっとも限定された形体である現象宇宙の諸物として段階的に自己を顕現するという思想である。初期スーフィズムは、哲学よりもおもに倫理的な側面を強調したが、彼は、ガザーリーによって否定されたネオプラトニズム哲学を大胆にスーフィズムに導入したため、つねに正統派ウラマー(法学者)から異端視され、死後も、ウラマーと彼の信奉者との間で多くの論争を生んだ。彼の思想はのちに体系化され、後代のスーフィー教団や、ジャーミーなどのペルシアの詩人に影響を与えた。またシーア派神学のなかに取り入れられ、サファビー朝下のイランでは、彼の形而上学は「叡知の学」(ヒクマ)とよばれるスコラ学として神学校でも教えられた。
[竹下政孝 2018年4月18日]
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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