ウルグベク(その他表記)Ulugh Beg

改訂新版 世界大百科事典 「ウルグベク」の意味・わかりやすい解説

ウルグ・ベク
Ulugh Beg
生没年:1394-1449

西アジアのティムール朝の第4代君主。在位1447-49年。ティムールの孫でシャー・ルフの子。父に代わってサマルカンド地方を支配したが,すぐれた学者であり,ことに天文学に詳しかった。1420年ごろサマルカンドの東郊に大天文台を建設し,ここで行った観測を基礎に天文表を作った。これには1018個の恒星の位置観測が含まれている。シャー・ルフ没後,国内は乱れ,ウルグ・ベクはその子が雇った刺客の手にかかって殺され,それとともにティムール朝は急速に衰えた。彼が建設した大天文台は土砂に埋もれてその所在さえも不明であったが,1908年以来ソ連の科学者の手で発掘が行われ,第1次,第2次世界大戦をはさんで40年余の努力でその全貌が明らかにされ,50年にはカリ・ニヤゾフT.N.Kary-Niyazovの手ですぐれた報告が発表された。またウルグ・ベクの星表は,17世紀のポーランド天文学者ヘベリウスHeveliusの星図にとり入れられた。彼はイル・ハーン国のナシール・アッディーン・アットゥーシーと並ぶ東方イスラム世界を代表する天文学者である。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ウルグベク」の意味・わかりやすい解説

ウルグ・ベク
うるぐべく
Ulugh Beg
(1393/94―1449)

ティームール帝国第4代の君主(在位1447~49)。第3代シャー・ルフの子。父の在世中はマーワラー・アンナフル(アムダリヤ以北)の総督として、38年間サマルカンドに住み、そこに天文台を建設した。また学者の協力を得て天文表を作成した。この天文表は、東洋から西洋に伝わった天文表のうち、もっとも正確で完璧(かんぺき)なものといわれ、1650年にイギリスで出版された。また暦もつくった。それは十二支獣で年を示し、春分を元日とするイラン暦により、月の名は黄道十二宮のアラビア語名を用いている。このような文化面での名声とは逆に君主としては不運で、即位後まもなく甥(おい)のために首都ヘラートを奪われ、子のアブドゥル・ラティーフは捕らえられた。ウルグ・ベクはこの乱を平定して子を救ったが、その子によって殺された。

[勝藤 猛]

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旺文社世界史事典 三訂版 「ウルグベク」の解説

ウルグ=ベク
Ulugh Beg

1394〜1449
ティムール朝第4代の君主(在位1447〜49)
ティムールの孫で,シャー=ルフの子。すぐれた文化人で,歴史・数学・天文学にくわしく,サマルカンドに当時世界の最高水準の天文台を建設した。彼の暗殺後,ティムール朝は内紛に拍車がかかり,衰退期にはいった。

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