ソ連の文芸学者。1918年から49年までペテルブルグ大学の講壇に立った。18年にオポヤーズに参加、フォルマリストを代表する理論家として活躍した。『ゴーゴリの「外套(がいとう)」はいかに作られたか』(1919)は、テキストの生地(きじ)そのものに着目して、従来の政治的、社会的な功利主義批評に挑戦する意義を担った。初期のトルストイ論は、芸術家と回心後の思想家という二分法を退け、あくまでも作品のスタイルの変遷、そこからくる危機ととらえようとする視点を示した。またレールモントフ論においては、その情動的な強度が、ロシアならびに西欧の詩人たちの既成の素材を借りて成り立つ折衷的なものであることを論証した。そのほか詩、散文の分野にわたってさまざまな示唆的な仕事を残したが、27年ごろから方向を転換、システムとしての作品の外側の「文学的環境」を重視するようになり、その視点からまた大部の『レフ・トルストイ 50~60年代』(1928~31)が書かれる。トルストイの思想の変遷を同時代の社会環境から綿密に検証するものであった。30年代に入り、スターリニズム体制の圧迫の強まるなかでさらに方向を転換、歴史的、伝記的な研究に赴かざるをえなくなる。しかしこの時期に携わったトルストイ、レールモントフ、ツルゲーネフ、レスコフなどの作品、全集の校訂の作業においても、いくつかの画期的な発見があり、多大な業績を残した。
[小平 武]
『山田吉二郎訳『若きトルストイ』(1976・みすず書房)』▽『R・ヤコブソン他著、小平武他訳『ロシア・フォルマリズム文学論集1』(1971・せりか書房)』▽『シクロフスキー他著、新谷敬三郎他訳『ロシア・フォルマリズム論集』(1971・現代思潮社)』
ソ連邦の文芸学者。1918年ころから,ロシア・フォルマリズムの中核をなす〈ロシア詩語研究会(オポヤーズ)〉の一員となり,シクロフスキーらとともに詩学,韻律学の面で新境地を開いた。次いで物語において〈語り〉という形式が果たす重要性を指摘し,それ以前の人道主義的ゴーゴリ観を覆す《ゴーゴリの“外套”はどのように作られたか》(1919)を発表した。レールモントフについての優れた論考を1920年代に発表した後,マルクス主義文芸学の側から批判を受け,実証的な研究に転向,数多くの優れた研究を残した。第2次大戦後もジダーノフの批判を受けたが,後,復権された。
執筆者:川端 香男里
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…1916年ごろロシアのペトログラードで成立した〈詩的言語研究会〉のことで,詩学と言語学を根底に置くロシア・フォルマリズムの批評運動の一翼を担ったグループ。V.B.シクロフスキー,B.M.エイヘンバウム,Yu.N.トゥイニャーノフ,ヤクビンスキーL.P.Yakubinskii(1892‐1945),ポリワーノフE.D.Polivanov(1891‐1938)らが参加。未来派の芸術運動と関連をもちつつ,文学作品を文学以外の要素に還元する素材としていた従来の批評を拒否して文学の自律性を主張し,〈文学の科学〉の確立を志向し,文学作品の主題構成や文体や構造を分析し,言語表現の方法の面から批評を行おうとした。…
※「エイヘンバウム」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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