エスパルテロ(読み)えすぱるてろ(その他表記)Baldomero Espartero

日本大百科全書(ニッポニカ) 「エスパルテロ」の意味・わかりやすい解説

エスパルテロ
えすぱるてろ
Baldomero Espartero
(1793―1879)

スペイン軍人政治家。車大工の子として生まれる。聖職者となる教育を受けたが、義勇兵となって独立戦争に参加、その軍功により昇進した。スペイン領アメリカの独立運動鎮圧のため派遣されたのち、帰国してカルリスタ戦争ではマリア・クリスティナ側の指揮官となる。カルリスタの本拠である北部で決定的勝利を収め、1839年ベルガラ協定を締結して戦争を終わらせた。進歩派軍人として政治に関与し、1840年に摂政マリア・クリスティナを追放し、翌年摂政となる。しかし、独裁的政治を行ったため、穏健派、進歩派の反発を買い、1843年のナルバエスクーデターで摂政を追われ、亡命した。帰国を許されてからは政治から離れるが、1854年の進歩派クーデターの成功で政治の場に引き出され首相となった。選挙権の拡大、信教の自由など改革策を掲げたが、1856年オドンネルのクーデターで倒れた。以後政界から引退し、1868年九月革命で国王に推挙されたが、断った。1879年1月8日ログローニョで死去。戦争と内乱が生んだ典型的な軍人政治家であった。

[中塚次郎]

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改訂新版 世界大百科事典 「エスパルテロ」の意味・わかりやすい解説

エスパルテロ
Baldomero Espartero
生没年:1793-1879

スペインの将軍,政治家。ラ・マンチャの御者の家に生まれる。アルマグロの神学校へ入り,ナポレオンの侵入(1808)の際には武器をとって戦った。1811年にカディスの工兵学校を卒業,15年に独立運動鎮圧のため中南米へ派遣され,自由主義者のラ・セルナ将軍の知己を得た。帰国後,第1次カルリスタ戦争(1833-40)では政府軍の中で傑出した働きをし,戦後公爵位を得た。この頃から自由主義派の代表的人物となり,イサベル2世の摂政(1840-43)として近代化政策を推進したが,43年ナルバエスのクーデタによりイギリスへ亡命。48年帰国し,野にあったが,自由主義派進歩党の2年間(1854-56)には再び政権を握り,オドンネル将軍と権力をわかち合った。56年以降は完全に政界から身を引いた。誠実な人柄で,軍人として多くの武勲をたてたが,政治家としては十分な功績をあげたとは言いがたい。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「エスパルテロ」の意味・わかりやすい解説

エスパルテロ
Espartero, Baldomero

[生]1793. グラナトゥラ
[没]1879.1.8. ログロニョ
スペインの軍人,政治家。本名 Joaquín Baldomero Fernández Álvarez Espartero。カルリスタ戦争により惹起された内乱を鎮圧し,「スペインの平和回復者」と呼ばれ,イサベル2世の摂政として独裁者となった (1841) が,政変によりイギリスに亡命 (43) 。その後,帰国を許され首相となった (54~56) 。

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百科事典マイペディア 「エスパルテロ」の意味・わかりやすい解説

エスパルテロ

スペインの軍人政治家。カルリスタ戦争で摂政マリア・クリスティナ派を支持して内乱を鎮定,次いでクリスティナを追って摂政となり,独裁者として近代化政策を推進した。1843年宿敵ナルバエスの反乱で英国に亡命。帰国後,1854年進歩派の政府の首相となり再び自由主義憲法を制定したが,1856年反動派のクーデタで失脚した。

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「エスパルテロ」の解説

エスパルテロ
Baldomero Espartero

1793~1879

スペインの軍人,政治家。第1次カルリスタ戦争で政府軍の将軍として活躍。自由主義進歩派の代表的人物として1841~43年に摂政,54~56年に進歩派政権の首相を務め,その政権下で経済的自由主義の立法整備が進展。

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367日誕生日大事典 「エスパルテロ」の解説

エスパルテロ

生年月日:1792年2月27日
スペインの軍人,政治家
1879年没

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世界大百科事典(旧版)内のエスパルテロの言及

【スペイン】より

…今度は,自由主義派内の穏健派と進歩派の権力闘争が繰り広げられた。カルリスタ戦争を平定した進歩派エスパルテロ将軍は,同派の指導者となり,41年には摂政の座についた。ところが,その2年後,穏健派と進歩派内の反エスパルテロのグループが各地で軍事蜂起し,進歩派政権はもろくも崩壊した。…

【ナルバエス】より

…15歳で軍隊に入り自由主義の影響を受け,第1次カルリスタ戦争での活躍で,1836年陸軍少将に昇進し,38年代議士に初当選。自由主義勢力の中で進歩派のエスパルテロ将軍に対抗する穏健派の中心人物となる。同年秋セビリャで蜂起し政権を要求したが,逆に進歩派の名声が上がり,フランスへ亡命。…

※「エスパルテロ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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