デジタル大辞泉 「エッケルト」の意味・読み・例文・類語 エッケルト(Franz Eckert) [1852~1916]ドイツの軍楽隊指揮者・作曲家。明治12年(1879)来日。海軍軍務局で軍楽隊の指導・養成に当たった。また、伊沢修二に協力して、日本の音楽教育に多大な貢献をした。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例 Sponserd by
精選版 日本国語大辞典 「エッケルト」の意味・読み・例文・類語 エッケルト ( Franz Eckert フランツ━ ) ドイツの音楽家。明治一二年(一八七九)海軍軍楽隊教師として来日。日本の音楽教育に尽くした。奉悼曲「哀しみの極み」、行進曲「太湖船」などを作曲。(一八五二‐一九一六) 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「エッケルト」の解説 エッケルト 没年:1916.8.6(1916.8.6) 生年:1852.4.5 明治期のお雇い外国人。ドイツのシレジア(現ポーランド)地方生まれ。海軍の軍楽隊長だった明治12(1879)年3月29日に来日,翌日に海軍軍楽教師に就任。16年から19年には音楽取調掛(東京芸大音楽学部),20年から宮内省式部職の各教師を兼任。22年に海軍を満期解任となり,23年から27年には陸軍嘱託教師。28年から再び海軍の嘱託教師となり,32年3月に満期解任,翌月帰国した。2年後に朝鮮の宮廷音楽教師となり,ソウルで死亡。文字通り日本の洋楽の育ての親で,「君が代」の雅楽調旋律を現在のように和声付けしたことで知られ,皇族などの葬送曲「哀の極」ほか多数の作品がある。 (増井敬二) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「エッケルト」の意味・わかりやすい解説 エッケルトEckert, Franz von [生]1852.4.5. シュレジエン,ノヒロート[没]1916.8.6. ソウルドイツの音楽教師。音楽学校を卒業,ドイツ陸軍,次いで海軍の各軍楽隊に所属。 1879年3月日本政府に招聘され,海軍省軍楽教師として着任。翌 80年「君が代」を編曲。のち,陸軍省,宮内省にも兼任,さらに,唱歌編纂にも協力した。 1900年頃辞任,帰国して,プロシア王室楽長に任じられた。 10年李氏朝鮮王家から楽長として招聘され,病没するまで在勤した。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「エッケルト」の解説 エッケルト Eckert, Franz von 1852-1916 ドイツの音楽家。1852年4月5日生まれ。明治12年(1879)海軍軍楽隊教師として来日,ドイツ式軍楽を教授。13年「君が代」を吹奏楽用に編曲した。のち音楽取調掛教師を兼務。21年宮内省雅楽課専任となる。32年帰国。1916年8月6日死去。64歳。作品に「哀の極」(英照皇太后大葬奉送曲)など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by