日本大百科全書(ニッポニカ) 「エノンセ」の意味・わかりやすい解説
エノンセ
えのんせ
énoncé フランス語
「述べられたこと」を意味するフランス語。「言表」と翻訳される。言語学では「発話」(1人または複数の話者が発した有限の長さの語連続)として、論理学では「立言」(ある考えを命題のかたちで述べること)としても用いられるこの語を、独自の用法のもとに使用したのは、フランスの哲学者ミシェル・フーコーである。彼は、実際に発話されたり記述されたりした記号を、その存在そのもののレベルにおいてとらえたものとして、エノンセを定義する。エノンセは、文や命題などとは異なり、文法や論理的構造、隠された意味や真偽の判定基準といった、外から記号を支えているとされるものを指示したりはしない。むしろ逆に、文や命題を可能にするようなものとしての記号の存在様態、すなわち、対象の領域と関連をもち、主体の場所を規定し、他の記号に対して位置づけられ、反復可能な物質性を備えるという、記号に固有の存在様態そのもののことが、エノンセと呼ばれるのである。
エノンセについてのこのような規定は、思考の歴史を考察するためにフーコーによって提示される新たな方法との関連において理解されなければならない。通常われわれは、歴史を分析しようとして困難に出会うとき、実際に語られたこととは別のレベルにあるものに訴える。例えば、変化や矛盾や不整合などといったものを前にしたとき、われわれはしばしば、メンタリティや世界観などによってそれを説明しようとする。これに対し、フーコーが提唱するのは、あくまでも語られたことそのもののレベルにとどまるような分析方法である。すなわち、ある時代においてどのようなことが語られ、どのようなことが語られなかったのか、また、語られたことの総体のなかにどのような変容が生じたのか、などということについて、主体や精神や理性など、語られたことをその背後において支えるものを想定することなく考察する、ということである。こうした歴史分析の新たな方法を、フーコーは「アルケオロジー」と名づける。そしてその対象とされるのが、語られたことを語られたことそのもののレベルでとらえたものとしてのエノンセの総体なのである。
[慎改康之]
『ミシェル・フーコー著、中村雄二郎訳『知の考古学』(1995・河出書房新社)』▽『ミシェル・フーコー著、蓮實重彦・渡辺守章監修、小林康夫・石田英敬ほか訳『ミシェル・フーコー思考集成』全10巻(1998~2002・筑摩書房)』