デジタル大辞泉
「戸川秋骨」の意味・読み・例文・類語
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とがわ‐しゅうこつ【戸川秋骨】
- 英文学者、随筆家。本名明三。肥後(熊本県)出身。慶応義塾大学教授。東京帝国大学選科卒。明治二六年(一八九三)「文学界」の創刊にあたり同人の一人となる。翻訳「エリア随筆」(ラム)、著「英文学講話」「都会情景」など。明治三~昭和一四年(一八七〇‐一九三九)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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戸川 秋骨
トガワ シュウコツ
明治・大正期の英文学者,随筆家,評論家 慶応義塾大学教授。
- 生年
- 明治3年12月18日(1871年)
- 没年
- 昭和14(1939)年7月9日
- 出生地
- 肥後国玉名郡岩崎村(熊本県)
- 本名
- 戸川 明三
- 別名
- 別名=戸川 棲月,早川 鷗水,蒼梧桐,長帆,かげろふ
- 学歴〔年〕
- 明治学院〔明治24年〕卒,東京帝国大学英文科選科〔明治31年〕卒
- 経歴
- 明治26年「文学界」の創立に参加し評論、随筆を発表。また明治女学校、山口高校で教鞭をとる。東大時代には「帝国文学」編集員となる。38年渡欧し、40年帰国後は明治学院、東京高師、慶大などの講師を経て、43年から慶大教授を務めた。同年フレデリック・ロリエの「比較文学史」を翻訳刊行し、他に「エマーソン論文集」「マコーレー論文集」「デカメロン」(「十日物語」)などを訳し、翻訳家として知られた。他の著書に「英文学精講」「英文学覚帳」、「変調論」「二万三千哩」「能楽礼賛」などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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戸川秋骨 とがわ-しゅうこつ
1871*-1939 明治-昭和時代前期の英文学者,随筆家。
明治3年12月18日生まれ。戸川エマの父。島崎藤村らと親交をむすび,「文学界」創刊同人となる。明治43年慶応義塾教授。エマーソンなどの翻訳やユーモアあふれる随筆で知られる。昭和14年7月9日死去。70歳。肥後(熊本県)出身。東京帝大卒。本名は明三(めいぞう)。著作に「変調論」「英文学講話」など。
【格言など】世を厭ふ人果して真に世を厭ふか,世を楽むと云ふ人果して真に世を楽むか(「俳人の性行を想ふ」)
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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戸川秋骨
とがわしゅうこつ
[生]明治3(1870).12.18. 肥後,岩崎
[没]1939.7.9. 東京
英文学者,随筆家。本名,明三。明治学院,東京大学英文科に学び,のち慶應義塾大学英文科教授となった。 1893年『文学界』の創刊に参加,海外文学の紹介,評論を行なった。翻訳『エマーソン論文集』 (1911~12) ,随筆『英文学覚帳』 (26) ,『都会情景』 (33) ,『自画像』 (35) などがある。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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戸川 秋骨 (とがわ しゅうこつ)
生年月日:1870年12月18日
明治時代;大正時代の英文学者;随筆家;評論家。慶応義塾大学教授
1939年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の戸川秋骨の言及
【文学界】より
…5号以降は文学界雑誌社と改称し,名実ともに文学の自立を指導理念とした。最初の同人は,理論的中核となった北村透谷,島崎藤村,平田禿木(とくぼく),戸川秋骨,天知とその弟星野夕影(せきえい)。のちに戸川残花,馬場孤蝶が加わった。…
※「戸川秋骨」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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