アメリカおよびイギリスの神経科学者。ニューヨーク市生まれ。1967年にカナダのマクギル大学で博士号を取得。イギリスのロンドン大学に移り1987年から教授。
1960年代後半から、ラットの行動と脳内の神経細胞が活発になる状態を研究し、1971年にラットが部屋の特定の場所にいるときにだけ活発に働く神経細胞である「場所細胞place cell」を海馬(かいば)の中に発見した。場所細胞は多数あるが、ラットの位置によって活発になる場所が異なっており、脳内に地図をもっているような機能の発見であった。さらにこの研究を発展させて、ラットが動くとそれに対応するように場所細胞がタイミングよく活発化していく状況を神経細胞のθ(シータ)波(4~7ヘルツの脳波)の振動する状況から示した。
オキーフの研究室に来ていたノルウェーの神経科学者であるモーセル夫妻(エドバルド・モーセルおよびマイブリット・モーセル)は、これを発展させて海馬の近くにある嗅内(きゅうない)皮質とよばれる場所に場所細胞と呼応するように活発になる「格子(こうし)細胞(グリッド細胞grid cell)」があることを発見した。オキーフの発見した場所細胞とモーセル夫妻が発見した格子細胞の活動により、脳内で居場所や目的地を認知していることがわかった。2014年「脳における空間認知システムを構成する細胞の発見」の業績で、モーセル夫妻とともにノーベル医学生理学賞を受賞した。
[馬場錬成 2015年2月17日]
アメリカの画家。自然主義に基づく幻想的半抽象絵画の開拓者の一人。ウィスコンシン州サン・プレイリーに生まれる。フェノロサの影響を受けたダウArthur Wesley Dow(1857―1922)から東洋の造形原理を教えられ、1917年、のちにアメリカ近代写真の父といわれるスティーグリッツの主宰する画廊「291」で初の個展を開く。1924年スティーグリッツと結婚し、西欧系のモダニズムとは直接関係のない自然主義的な半抽象、または抽象幻想主義ともいえるイメージを開発した。1929年以来ニュー・メキシコの乾いた風土に取りつかれ、スティーグリッツと死別した1946年からニュー・メキシコの砂漠の中に隠棲(いんせい)して、制作を続けた。
[桑原住雄]
『オキーフ著、松岡和子訳『オキーフ画集』(1982・小学館)』▽『ローリー・ライル著、道下匡子訳『ジョージア・オキーフ――華麗なるアメリカ精神の肖像』(1984・PARCO出版局)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
アメリカの女流画家。ウィスコンシン州サン・プレーリー生れ。ダウArthur Wesley Dowから日本美術の作画法を教えられ,決定的な影響を受ける。1924年,写真家で〈291〉画廊の主宰者スティーグリッツと結婚。ヨーロッパ系モダニズムとはほとんど関係なく,有機的フォルムをもつ自然主義的な半抽象イメージを切りひらいた。29年以来ニューメキシコの風土にとりつかれ,46年夫と死別後ニューメキシコの砂漠のなかで孤高の制作活動を続け,生と死という永遠の主題を,神秘的な花,白骨,砂漠などのイメージで表現した。
執筆者:桑原 住雄
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…この〈フォト・セセッション〉運動は,単に写真独自の新しい可能性を見いだそうとしたばかりではなく,そこでは広く近代芸術が抱える諸問題がとりあげられ,その意味でその理論と実践はアメリカ近代芸術の確立に何らかの貢献をなすものでもあった。E.スタイケンやC.ホワイトもこの運動に加わっていたし,画家のG.オキーフもこの運動の中で育てられた。なお,スティーグリッツは,24年にオキーフと結婚している。…
※「オキーフ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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