改訂新版 世界大百科事典 「オクシタン」の意味・わかりやすい解説
オクシタン
occitan
オック語の意。南フランスで行われるロマンス語の一つで,プロバンス語Provençalとも呼ばれる。中世フランスには,ともにラテン語から派生したオイル語(北部)とオック語(南部)が行われていたが,12,13世紀吟遊詩人が輩出したため,オック語はいち早く文芸語としての地位を確立した。その後フランスの統一と近代化が北部の指導権の下で進んだために,オイル語がフランス語に成長したのに対し,オック語は方言,俗語に転落した。1539年のビレル・コトレの王令は公文書におけるオック語の使用を禁じ,近代では公教育がフランス語を南部に浸透させた。いわばオック語は征服された言語である。1323年コンシストリ・デル・ゲ・サベルConsistori del Gai Saber設立によりオック語文芸復興の試みがなされる。これはルイ14世の特許を得てアカデミー・デ・ジュー・フロローAcadémie des jeux Florauxに改組され,現在まで存続する。19世紀半ばには詩人F.ミストラル,T.オーバネル,J.ルーマニーユ等の,この文化の宣揚を目的としたフェリブリージュfélibrige運動が見られた。
オック語をオクシタンと呼ぶのは比較的新しい慣行である。これには二つの観念が結合している。第1に,オック語は方言ではなくフランス語に対抗できる独立言語である。第2に,オーベルニュ,リムーザン,ガスコーニュ,狭義のラングドック,プロバンス等の諸方言は別々の語でなく,ともにオック語であるという考えである。オック語の行われる地方がオクシタニーOccitanieだが,それは,バスク語地帯とカタルニャ語地帯を除いて,フランスの南半分ほぼ全域と合致する。初めてこの語義を用いたのは,おそらく《トルバドゥール--13世紀オクシタンの詩作》(1803)の著者ファーブル・ドリベである。
オクシタニーの語そのものは,まれではあるが,16世紀から用例がある。これは狭義のラングドック地方を指す雅語であって,今日いうところのオクシタニーとは範囲が異なる。オクシタンの用語は容易に普及せず,ミストラルも好んでプロバンサルの語を用いた。一般化するのは20世紀で,この点カミーユ・スーラらによるオクシタン研究所の設立(1945)と活動が果たした役割は大きい。
本来,地方復権の主張を基盤としているので,急進化する場合にはフランスからのオクシタニー分離論へ傾きがちで,オクシタン国民党(1959)は,連邦制フランスを構想した。文化運動の次元でも,公教育におけるオクシタン採用が主張される。しかし,広大なオクシタニー内で地域ごとに事情が著しく異なるために,オクシタニー全体を代表する政治運動が発展する可能性はきわめて小さい。文化面でもオクシタンによる創作や詩作,あるいは語学的研究はしだいに盛んになりつつあるものの,運動としては困難を抱えている。第1に,現在多少ともオクシタンを知っている人口は約200万と推定されるが,その中で純粋のオクシタンを話せる者は僅少だという事実である。第2に,オクシタン内部の方言分化が著しく,規範化に当たって合意が得がたいからである。
→フランス語
執筆者:渡邊 昌美
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報