オルブライト(読み)おるぶらいと(その他表記)Madeleine Albright

日本大百科全書(ニッポニカ) 「オルブライト」の意味・わかりやすい解説

オルブライト
おるぶらいと
Madeleine Albright
(1937―2022)

アメリカの政治家。クリントン政権の国連大使、国務長官。アメリカ史上初めて国務長官に起用された女性。プラハ生まれ。父はチェコスロバキア外交官。第二次世界大戦中はナチスを逃れて家族とともにイギリスなどで暮らし、戦後は祖国の共産化を逃れて、11歳でアメリカへ移住した。ウェルズリー大学を経て、コロンビア大学で政治学博士号。ロシア・東欧研究の専門家としてカーター政権の国家安全保障会議スタッフとなった。1984年と1988年の大統領選挙で民主党候補の外交政策顧問を務め、1993年のクリントン政権発足とともに、ジョージタウン大学教授から国連大使に就任。1996年に再選されたクリントン大統領によって、国務長官に指名された。

 アメリカが果たすべき国際的な役割に対する強烈な信念と、激しい言動が「火の玉」「鋼鉄のような意思をもつ人」との評を生んだ。大使時代には、旧ユーゴスラビアやルワンダでの人権抑圧、イラク・北朝鮮問題などに取り組む一方で、ボスニア空爆をめぐって明石康(あかしやすし)国連事務総長特別代表と対立、またガリ国連事務総長とも、国連の改革、運営問題などで対立した。国務長官としては、北大西洋条約機構NATO(ナトー))の拡大をはじめ、中国との関係改善や日米安保体制の強化を進めたが、中東和平工作は難航を重ねた。長官就任直後、ユダヤ人の家系の出身であること、祖父母がナチスの強制収容所で殺されていたことが明らかになり、複雑な反響をよんだ。1997年には『タイム』誌の「アメリカでもっとも影響力のある25人」のなかに選ばれ、女性の社会進出を唱える団体からは「アメリカの理想の女性10人」の第1位にあげられた。2001年に国務長官を退任。2012年にはアメリカで文民最高位の大統領自由勲章を受章した。また2018年(平成30)日米間の関係強化に寄与した功績が認められ、日本政府から旭日大綬章(きょくじつだいじゅしょう)の叙勲を受けた。

[村松泰雄]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「オルブライト」の意味・わかりやすい解説

オルブライト
Albright, Madeleine

[生]1937.5.15. チェコスロバキア,プラハ
[没]2022.3.23. アメリカ合衆国,ワシントンD.C.
マデレーン・オルブライト。旧名 Marie Jana Korbel。アメリカ合衆国の政治家。チェコスロバキアに外交官の娘として生まれた。1939年ナチス・ドイツがチェコスロバキアに侵攻したため,ユダヤ系の一家はイギリスに亡命。第2次世界大戦後母国に戻ったが,1948年アメリカに移住した。1959年ウェルズリー大学を卒業し,結婚。1968年コロンビア大学で修士号を取得,1972年の大統領選挙で民主党のエドムンド・S.マスキー候補の選挙運動を手伝い,のちにマスキー上院議員の立法担当秘書を務めた。1976年コロンビア大学で博士号を取得し,カーター政権の国家安全保障問題担当大統領補佐官ズビグネフ・ブレジンスキーのもとで働いた。1980年代から 1990年代初めの共和党政権時代は,いくつかの非営利団体の活動に携わる一方,1982~93年にはジョージタウン大学の教授を務めた。1992年ビル・クリントン大統領に抜擢され,1993~97年国際連合大使を務め,舌鋒鋭くアメリカの国益保護を迫る頑強な外交手腕を発揮して名をはせた。1997~2001年アメリカ初の女性国務長官を務めた。2001年に公務を退き,コンサルティング会社のオルブライト・グループを設立した。

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