翻訳|Ottawa
カナダの首都。同国中南部のオンタリオ州南東端、セント・ローレンス川支流のオタワ川とリドー川の合流点に位置する。人口77万4072、大都市圏人口はケベック州のハルを含み106万3664(2001)でカナダ第4位。カナダの政治、経済、文化の一大中心地。イギリス系とフランス系両カナダ人の双方の居住地域に接する地理的位置にある。約3分の2がイギリス系で3分の1がフランス系であるが、英語を理解しない人はわずかである。
オタワ川流域の木材集散地で、かつ豊富な水や水力を利用してパルプ、製紙工業、製粉、農具製造、皮革工業などが行われるが、産業活動はあまり活発ではない。公務員が多く36%を占め、工業労働者は12%にすぎない。最近、エレクトロニクス、コンピュータ、宇宙科学などの高度技術産業の中心として注目を集めている。オタワ大学とカールトン大学があり、二つの大陸横断鉄道も通っている。
パーリアメント・ヒルには政府の建物が並び、衛兵の交代は観光名物でもある。議事堂周辺には美術館、戦争博物館、国立芸術センター、戦争記念塔がある。とくに第一次世界大戦の戦没者を記念して議事堂中央に建設された「平和塔」は有名。都市計画がよく行き届き、市内に134の公園緑地をもち、水と緑の町として知られる。とくに市を取り巻く幅3~5キロメートルのグリーンベルトやリドー運河沿いのドライブウェーは美しい。第二次世界大戦中にオランダ王家がこの地に避難し、そのお礼に毎年同王家から贈られるチューリップの球根が植えられ、花が咲く5月下旬にチューリップ祭が行われる。
[山下脩二]
19世紀初頭、ニコラス・スパークスが初の開拓者となったオタワは、長らく辺鄙(へんぴ)なままであった。1826年、オンタリオ湖北東端のキングストンとこの地を結ぶリドー運河建設にあたり、工事の責任者バイ陸軍大佐にちなんで、バイタウンとよばれるようになった。運河は1832年に完成し、バイタウンは木材の集散地として発展を遂げ、55年オタワと改名した。1857年ビクトリア女王は、1841年以来フランス系の都市とイギリス系の都市の間を転々としてきた連合カナダ植民地の首都を、二つのコミュニティの境界をなすオタワ川に沿うこの地に定めた。67年オタワは新生国家カナダ自治領の首都となり、世界でもっとも寒さの厳しい首都として、カナダ政治の中心地となっている。
[大原祐子]
カナダの首都。大都市域人口115万(2005)。オンタリオ州東部に位置し,オタワ川を隔ててケベック州に対する。1857年,イギリスのビクトリア女王が連合カナダ植民地の首都に選定した。1613年シャンプレーンが周辺を踏査したことが知られるが,木材の集散地であったこの地が本格的な発展を遂げたのは,1826年にオタワ川とオンタリオ湖を結ぶリドー運河建設の基地となってからであった。建設を指揮したバイ陸軍中佐の名をとってバイタウンと呼ばれたが,55年に改名。市名はアルゴンキン・インディアンの一種族名に由来する。カナダの政治・文化の中心地で,印刷,出版などの軽工業を除けば政府関連産業が中心である。国立美術館,国立芸術センターなどがあり,観光業はオタワ第2の産業となっている。オタワ大学とカールトン大学がある。人口の約5割がイギリス系である。
執筆者:大原 祐子
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連合カナダ植民地でイギリス系とフランス系が首都の立地を争った1858年に,ヴィクトリア女王の裁定で首都に選ばれた。地名は先住民オタワ族の名に由来する。67年の連邦結成に伴いカナダの首都となった。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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