キッチナー(読み)きっちなー(英語表記)Horatio Herbert Kitchener, 1st Earl Kitchener of Khartoum and of Broome

日本大百科全書(ニッポニカ) 「キッチナー」の意味・わかりやすい解説

キッチナー(Horatio Herbert Kitchener, 1st Earl Kitchener of Khartoum and of Broome)
きっちなー
Horatio Herbert Kitchener, 1st Earl Kitchener of Khartoum and of Broome
(1850―1916)

イギリスの軍人。ウーリッジの陸軍士官学校に学ぶ。1884~1885年、スーダンゴードン将軍の救出作戦に参加、マフディー軍と戦った。1892年エジプト軍司令官に就任、1898年にハルトゥームを奪回した。同年ファショダでフランスのマルシャンJean-Baptiste Marchand(1863―1934)指揮下の軍と対峙(たいじ)、ファショダ事件を起こす。その後、南アフリカ戦争ブーア戦争)での総司令官、インド軍総司令官、元帥(1909)。エジプト駐在代表を経て、1914年、第一次世界大戦に際して陸軍大臣となったが、弾薬不足への非難の高まりなどのなかで声望を失い、1916年ロシアへ赴く途次、船の沈没によって死去した。

[木畑洋一]


キッチナー(カナダ)
きっちなー
Kitchener

カナダ、オンタリオ州南部の工業都市人口19万0399。ウォータールーとともに大都市域を形成し、その人口は41万4284(2001)である。1806年にペンシルベニアオランダ人建設最初はサンドヒルズとよばれていたが、のちにドイツからの移住者が多数定住し、ベルリンと変更した。1916年イギリス陸軍元帥キッチナーを記念し、改名した。家具食品ゴム製品繊維工業などが盛んで、ウォータールーとともに製造業の中心地である。

[山下脩二]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「キッチナー」の意味・わかりやすい解説

キッチナー
Kitchener, Horatio Herbert, 1st Earl Kitchener

[生]1850.6.24. ケリー
[没]1916.6.5. オークニー諸島沖
イギリスの軍人,政治家。 1882年エジプトのアラビー・パシャの乱鎮定に参加。 92年エジプト軍司令官。 98年フランスとの間に起ったファショダ事件を有利に解決し,功により男爵に叙せられた。 99年南アフリカ戦争勃発に際し,L.ロバーツ将軍の参謀長となり,1900~02年総司令官としてブール人のゲリラ戦を徹底的に鎮圧,功により 02年子爵となる。 02~09年インド軍総司令官として軍制その他の改革を行なった。 09年元帥。 11~14年エジプト駐在イギリス代表。 14年伯爵に叙せられ,第1次世界大戦が勃発すると,H.アスキス内閣の陸相に就任。長期戦を予想して陸軍の大拡張や軍需産業の動員に努めたが,政治的資性に欠けたため,閣僚の支持を十分に得られなかった。軍事会談のため巡洋艦『ハンプシャー』号でロシアへおもむく途中,ドイツの機雷により沈没,死亡。

キッチナー
Kitchener

カナダ,オンタリオ州南部,ハミルトンの北西 53kmにある都市。ヒューロン湖,エリー湖,オンタリオ湖にはさまれるオンタリオ半島のほぼ中央部にあり,1月の平均気温-7℃,7月の平均気温 19℃,年降水量 850mmで気候温和。居住が始った 1807年頃はサンドヒルズと呼ばれ,次いでメノナイトのエビー司教の名を取りエビータウン,24年にはベルリンと呼ばれたが,1916年イギリスの陸軍元帥 H.キッチナーの名を取ってキッチナーと改称。最初の開拓者の大部分はペンシルバニアから入ったドイツ人で,その後もドイツからの移住者が多かった。カナダで最も人口密度の高い地域の工業,金融,商業の中心地で,ウォータールーと隣接し,双子都市として知られる。家具,肉の缶詰,醸造,ゴム製品,繊維製品の製造が盛ん。人口 21万9153(2011)。

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