イギリスの詩人,劇作家,随筆家。Cooleyなる自署が発見されているので,クーリーと呼ぶべきだとの説もある。王党派・英国国教会派寄りの保守的な思想を奉じ,ピューリタン革命で母校ケンブリッジ大学を追われてフランスに亡命。その後も王党派として活動したが,王政復古(1660)となっても自分で期待したほどの処遇は受けなかった。失意のうちに田園に隠棲して文筆に専念。《詩集》(1656),《近作詩集》(1663),《詩文集》(1668)などを世に問うたが,その詩の特色は機知に頼る表現に見られる。ときにそれが極端に走ったため,後年ジョンソン博士によって悪しき形而上派的奇想metaphysical conceitsの実例として槍玉にあげられたこともある。しかしその時代の一つの詩風のわかりやすい実践であったから,それなりの影響も及ぼし,文学史的重要性も認められる。
→形而上詩
執筆者:川崎 寿彦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
アメリカの詩人、批評家。ペンシルベニア州に生まれ、ハーバード大学卒業後、グリニジ・ビレッジでのボヘミアン生活を経て、パリへ赴き、国籍離脱者の一人として同世代の作家たちと交遊をもった。詩集『青きジュニアータ』(1929)、「失われた世代(ロスト・ジェネレーション)」の遍歴を描いたエッセイ『亡命者帰る』(1934)はこの時期の所産であり、以後『文学状況』(1954)、『30年代への回顧』(1967)、『窓多き家』(1970)などの評論集、詩集『渇いた季節』、さらにはホーソン、ヘミングウェイ、フォークナーの選集編纂(へんさん)など多方面の活躍を続け、とくに1946年編の『ポータブル・フォークナー』はこの大作家の再評価のきっかけをつくった。
[原川恭一]
イギリスの詩人。E・スペンサー、B・ジョンソン、J・ダンらの影響を受けた。強烈な個性をもった詩人というよりは、近代科学精神とキリスト教ヒューマニズムが、また形而上(けいじじょう)詩の機知と新古典主義の良識的感覚が融合した、形而上派詩人(メタフィジカル・ポエット)としてはイメージの織り出し方が比較的穏やかな詩人である。15歳で『詞華集』(1633)を出版、内乱時は王党を支持してフランスに追われ、そのため王党派詩人として分類されることもある。王政復古とともに帰国し、詩のほかに当時流行の庭園論や自然と人間と孤独をめぐる優れたエッセイも残した。代表作は恋愛詩集『恋人』(1647)。
[河村錠一郎]
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