百科事典マイペディア 「カサブランカ会談」の意味・わかりやすい解説
カサブランカ会談【カサブランカかいだん】
→関連項目カサブランカ
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…しかしソ連が参戦直後から要求していた連合国側による大陸での対ドイツ戦線(第二戦線)の問題をめぐり,フランスに上陸すべきとするアメリカと北アフリカにまず上陸すべきとするイギリスとの間で戦略上の対立が起こり,結局,イギリスの主張がとおり北アフリカに上陸作戦が展開された。そして43年1月スターリンは戦局の進展のため出席できなかったが,ローズベルト,チャーチルの会談がカサブランカで開かれシチリア侵攻とフランス上陸を話し合い,また枢軸国に〈無条件降伏〉を求めることが決定された(カサブランカ会談)。そして,この〈第二戦線〉問題は43年いっぱい話し合われることになった。…
※「カサブランカ会談」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月中 (12月後半) のことで,太陽の黄経が 300°に達した日 (太陽暦の1月 20日か 21日) から立春 (2月4日か5日) の前日までの約 15日間で...
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