カジミエシ3世(読み)カジミエシさんせい[だいおう](その他表記)Kazimierz III, Wielki

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カジミエシ3世」の意味・わかりやすい解説

カジミエシ3世(大王)
カジミエシさんせい[だいおう]
Kazimierz III, Wielki

[生]1310.4.30. コワル
[没]1370.11.5. クラクフ
ポーランド王 (在位 1333~70) 。ウワディスワフ1世 (短身王)の子。ピアスト朝最後の王。ポーランド史上ただ1人「大王」と呼ばれた。2世紀間の混乱に終止符を打ち,中世ポーランドの黄金時代をもたらした。対外政策では軍事よりも外交を重んじ,平和政策をとって国内建設に力を注いだ。姻戚外交によってヨーロッパの主要王室と友好関係を樹立。まずハンガリー王カーロイ1世の仲介でボヘミア王ヤン (→ヨハン) と協定を結び,シロンスク (シュレジエン) を断念する代りにポーランド王位請求権を放棄させ (35) ,次いでドイツ騎士団と交渉して東ポモージェを譲る代りにクヤーウィを取り,しかるのちに東に転じてハンガリー王の了解のもとにガリチアその他の地方を略取 (53) 。またマゾフシェの公を宗主権下においた (53) 。こうしてその治下にポーランドは8割方領土をふやしてヨーロッパの他の大国と肩を並べる雄国となった。国内では諸地方の伝統的な自治を尊重しながら王国の統合をはかり,慣習法をもとにした法典を編纂 (『カジミエシ大王法規集』) ,司法制度を整え,領主の権力濫用に対して農民を保護した。都市とギルドを保護育成し,マクデブルク都市法に基づいて新しい都市を建設,西ヨーロッパでの圧迫から逃れてきたユダヤ人を保護し,貨幣制度を改革するなどして遅れた経済の発展に努めた。各地に城塞を築き,教会を建立,特に首都クラクフを壮麗なゴシック建築で飾り,クラクフ学院を創設して (64) ,のちのヤギェウォ大学の基礎をおいた。男子の跡継ぎに恵まれなかったため,遺言で甥のハンガリー王ラヨシュ1世 (大王) (ポーランド名ルドウィク1世) に王位を譲った。

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