鎌倉後期の私撰和歌集。略して《夫木抄》ともいう。36巻。藤原長清(ながきよ)撰。1310年(延慶3)ごろ成る。長清が書名を思案して少しまどろんだとき,白衣の老翁があらわれて扶桑集と名付くべし,と告げた。名を聞くと大江匡房と名のった。このことを師の冷泉為相につげると,扶桑は日本国の総称で憚りがあるから,扶の字のつくりと桑の字の木を採り,《夫木和歌抄》と名づけて下さった,と長清の跋文にある。《万葉集》および私家集,歌合,撰集その他から撰び集めたものである(勅撰集は除く)。四季と雑に大きく分類し,春6,夏3,秋6,冬3,雑18の計36巻とし,各部門は歌題ごとに集めている。1万7350余首の大部なものである。冷泉流の主張どおり,古い規範にこだわることが少なく,自由に撰ばれている点が特色で,勅撰集ではうかがえない珍しい作風の歌が採られている。また,資料がひろくもとめられたため,現在では散逸した作品や異本類が残され,文献学的に貴重なものになった。例えば,《万葉集》の中世以前の古訓を数多く知ることができる。また《古今和歌六帖》は平安時代には現存本より相当大きな本が行われた(《奥儀抄》)が,本書によって失われた《古今和歌六帖》歌,いわゆる〈六帖拾遺歌〉を大量にひろうことができるのである。その他,同様の事例は枚挙にいとまなく,本書は和歌研究史上,非常に貴重なものである。
執筆者:奥村 恒哉
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鎌倉後期の私撰(しせん)類題和歌集。『夫木和歌集』ともいい、「夫木抄」または「夫木集」とも略称する。撰者は冷泉為相(れいぜいためすけ)の門弟で遠江勝田(とおとうみかつまた)(現静岡県牧之原(まきのはら)市)の豪族藤原(勝田)長清。集中に為相の「尋ね来てかつ見るからにかつまたの花の陰こそ立ちうかりけれ」の詠がある。1310年(延慶3)ごろ成立か。編纂(へんさん)の動機は、『玉葉和歌集』撰定の際に、為世(ためよ)や為兼(ためかね)と並んで為相も勅撰集の撰者を望んだことと関係があろう。万葉以来当代までの歌で原則として勅撰集に入らなかった1万7000余首を四季・雑各18巻計36巻、約600の題(「歳内立春」以下「述懐」まで)に部類した膨大な歌集で、採録の歌人は約970名に及ぶ。曽禰好忠(そねのよしただ)・源俊頼(としより)・西行(さいぎょう)らの自由な語法の歌や寂蓮(じゃくれん)の「十題百首」(動植物を詠む)など珍しい題材の歌も多く、「山」「関」などの部はいろは順に歌枕(うたまくら)が並んでいるなど、後世歌人や連歌(れんが)師に珍重された。ただ伝本の本文に誤字や乱れが多い。題名は「扶桑(ふそう)」の省画という。
[福田秀一]
『山田清市・小鹿野清次著『作者分類夫木和歌抄 本文篇』(1967・風間書房)』▽『山田清市著『作者分類夫木和歌抄 研究索引篇』(1970・風間書房)』▽『福田秀一『夫木抄』(和歌文学会編『和歌文学講座4 万葉集と勅撰和歌集』所収・1970・桜楓社)』
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