百科事典マイペディア 「カセラ」の意味・わかりやすい解説 カセラ イタリアの作曲家,ピアノ奏者,指揮者,批評家。カゼッラともいう。トリノに生まれ,パリ音楽院(コンセルバトアール)でフォーレらに師事してその影響を受ける。パリではドビュッシーやM.ラベルの知遇を得,1908年自作を指揮して作曲家・指揮者としてデビュー。マーラーの影響の色濃い作風は,やがて多調を用いた前衛的方向に転じた。第1次世界大戦により1915年帰郷し,1917年には〈国民音楽協会〉を設立。イタリア近代音楽の樹立をめざし,マリピエロやピツェッティ,またレスピーギとともに20世紀前半のイタリア音楽界を主導した。以後はイタリア音楽の伝統に依拠し,新古典主義的な独自の境地を開く。代表作に,声楽と管弦楽のための《5月の夜》(1913年),ピランデロ原作のバレエ音楽《壺(つぼ)》(1924年),《バイオリン協奏曲イ短調》(1928年)などがある。音楽学者としての著書も多い。→カステルヌオーボ・テデスコ 出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
改訂新版 世界大百科事典 「カセラ」の意味・わかりやすい解説 カセラAlfredo Casella生没年:1883-1947 イタリアの作曲家,ピアノ奏者,指揮者。音楽家の両親のもとに生まれ,母にピアノを学ぶ。1896-1902年パリ音楽院でフォーレらに師事。第1次世界大戦を機に帰国し,ローマのサンタ・チェチリア音楽学校ピアノ科教師。イタリア現代音楽協会やベネチア・ビエンナーレ音楽祭の設立に関与した。パリ滞在中は印象主義を避け,《ラプソディ・イタリア》(1909)などで後期ロマン派や国民楽派の影響を示したが,帰国後タゴールの詩による歌曲《生への訣別》(1915)などの多調性の時期を経て,ピアノ曲《11の子ども用小曲集》(1920)から新古典主義の作風をとり,後進に影響を与えた。執筆者:小場瀬 純子 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報