出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
イタリアの作曲家。1891-99年ボローニャの音楽学校でバイオリンとビオラを修めた後,さらに作曲とピアノを学ぶ。1900年よりペテルブルグの帝室歌劇場第1ビオラ奏者を務め,かたわらリムスキー・コルサコフに師事して強い影響を受けた。室内楽やピアノの演奏活動をしながら09年までベルリンに滞在。13年ローマのサンタ・チェチリア音楽院作曲科教授に迎えられ,24-26年院長を務めた後も生涯同音楽院にとどまった。モンテベルディの作品をはじめ多くのイタリアの古い作品の編曲をしていることにもうかがえるように,彼の作品は古来の伝統に根ざしながら,一方R.シュトラウスや印象主義などの影響のもとに,巧みな管弦楽法によって絵画的に描き出すことに特徴がある。代表作である交響詩《ローマの噴水》(1916),《ローマの松》(1924),《ローマの祭》(1928)とならんで,管弦楽曲《ボッティチェリの3枚の絵》《リュートのための古代舞曲とアリア》,合唱曲《キリスト降誕のためのラウダ》,多くの歌曲,オペラ,室内楽曲を残している。
執筆者:小場瀬 純子
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
イタリア近代の代表的作曲家。生地ボローニャの音楽学校でビオラ、作曲などを学んだ(1891~99)のち、1900年にペテルブルグ歌劇場のビオラ奏者となり、この地でリムスキー・コルサコフの音楽に感銘を受け、作曲と管弦楽法を彼に学んだ。レスピーギの華麗な管弦楽法は、まず師リムスキー・コルサコフ、そしてR・シュトラウスやドビュッシーの影響を受けている。13年、ローマのサンタ・チェチーリア音楽院作曲科教授となり、のち院長も務め、同地に没した。作曲はオペラ、協奏曲、室内楽、歌曲など多彩だが、ローマの古い音楽的伝統に根ざした彼の豊かな手法は、交響詩の三部作『ローマの泉』(1914~16)、『ローマの松』(1924)、『ローマの祭』(1928)にみごとに結実している。
[船山信子]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 (社)全日本ピアノ指導者協会ピティナ・ピアノ曲事典(作曲者)について 情報
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