百科事典マイペディア の解説 カステルヌオーボ・テデスコ イタリア生れのユダヤ系作曲家。生地のフィレンツェ音楽院でピツェッティに師事。早くから才能を開花させ,M.ラベルらの美学を継ぐピアノ独奏曲《3つの海の小品》(1916年−1919年)などでカセラの絶賛を受ける。以後,マキアベリの原作によるオペラ《マンドラゴラ》(1926年),《じゃじゃ馬ならし》(1930年)に始まるシェークスピアの戯曲のための序曲などを発表し,イタリア音楽界で名声を確立した。1939年,ファシストの圧迫により米国に逃れ,1946年に市民権を得る。以後は新古典主義的作風に移行した。セゴビアに献呈された《ギター協奏曲第1番》(1939年),J.R.ヒメネスの散文詩による語り手とギターのための《プラテーロと私》(1960年)などが今日では親しまれている。 出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報 Sponserd by
改訂新版 世界大百科事典 の解説 カステルヌオーボ・テデスコMario Castelnuovo-Tedesco生没年:1895-1968 イタリア生れのユダヤ系作曲家。少年時代から才能が注目され,フィレンツェ音楽院でピッツェッティに学んだ後カセラに認められ,若くして名声を得る。1920年代までの作風は,ラベルらの影響を受けた印象主義的なものであったが,《三つの海の小品》(1916-19)のような小品に鋭い感覚が示されている。30年代にアメリカに亡命,46年市民権を得る。この時期以後新古典主義的作風をとるようになるが,初期に比べると評価は低い。オペラを初め多数の純音楽作品があるが,今日では友人のセゴビアのために書かれた《ギター協奏曲第1番》(1939)などのギター作品で知られている。執筆者:庄野 進 出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報 Sponserd by
日本大百科全書(ニッポニカ) の解説 カステルヌオーボ・テデスコかすてるぬおーぼてですこMario Castelnuovo-Tedesco(1895―1968) イタリアのフィレンツェ生まれの作曲家。ユダヤ系のため、ファシストに追われて1939年渡米、ロサンゼルス音楽院で教え、映画音楽なども手がけ、同地に没した。師ピツェッティの影響を多く受け、初期の作品に優れたものが多いといわれている。代表作は、オペラ『マンドラゴラ』(1926)、ピアノ曲『なつかしいウィーン』(1912)、ギター協奏曲第1番ニ長調(1939)など。[細川周平] 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説 カステルヌオーボ=テデスコCastelnuovo-Tedesco, Mario [生]1895.4.3. フィレンツェ[没]1968.3.15. ハリウッドイタリアの作曲家。 I.ピツェッティに作曲を学び,作曲家,文筆家として活躍したが,1939年アメリカに移住。シェークスピアによるオペラと序曲,『ギター協奏曲』など作品多数。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by