カポディストリアス(英語表記)Ioánnis Kapodístrias

改訂新版 世界大百科事典 「カポディストリアス」の意味・わかりやすい解説

カポディストリアス
Ioánnis Kapodístrias
生没年:1776-1831

ギリシア政治家コルフ島出身で,イタリア医学をまなび,1800年からイオニア諸島共和国政府の外交を担当した。09年ロシアへ渡り,ツァーリの信任をえて外務大臣に登用された。彼は祖国民族運動を時期尚早とみて,秘密結社エテリアへの参加を拒み,独立戦争当初も否定的態度をしめしたが,のちには支援した。27年ギリシア議会で大統領に選ばれ,翌年帰国したが,反対派のために暗殺された。
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山川 世界史小辞典 改訂新版 「カポディストリアス」の解説

カポディストリアス
Ioannis Kapodistrias

1776~1831

ギリシアの政治家,大統領(在任1828~31)。ヴェネツィア統治下のケルキラ島(コルフ島)に生まれ,パドヴァで医学を学んだ。イオニア七島連邦国の行政に携わったのち,ロシア帝国の外務次官としてウィーン会議に出席した。ギリシア独立戦争中の1828年にギリシア初の大統領に就任し,独立ギリシアの国境画定や法律,経済,軍隊,教育の基盤づくりに専心した。31年政敵のギリシア人によって暗殺された。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「カポディストリアス」の意味・わかりやすい解説

カポディストリアス
かぽでぃすとりあす
Ioannis Antoniou Kapodistrias
(1776―1831)

ギリシアの政治家。コルフケルキラ)島出身。その家名はイストリア伯Capo d'Istriaに由来する。トルコ宗主権下の「イオニア七島連邦国」発足(1800)とともに政界に入り、1809年ロシア政府に招かれて同国の外交官となり、ウィーン会議で才腕を発揮。ついでロシア外相となってオーストリアメッテルニヒの反感を買った。ギリシア独立の秘密結社「友愛会」総裁の就任は固辞し続けたが、27年ギリシア国民会議によって初代ギリシア大統領に選出され、ヨーロッパ諸国訪問後、翌28年初めナフプリオンに上陸、大統領に就任した。しかし、そのロシア的施政は、独立に功績のあったギリシア人有力者の反発を招き、31年10月9日暗殺された。

[馬場恵二]

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百科事典マイペディア 「カポディストリアス」の意味・わかりやすい解説

カポディストリアス

ギリシアのコルフ島出身の政治家。1809年ロシアに行き,ロシア政府の外交官となり,ウィーン会議出席後はロシアの外相となる。祖国の民族運動を時期尚早とみて秘密結社エテリアへの参加を当初は拒んだが,ギリシア解放戦争中,1827年ギリシア国民議会から大統領に推された。翌年帰国して就任したが,反対派のために暗殺された。

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367日誕生日大事典 「カポディストリアス」の解説

カポ‐ディストリアス

生年月日:1776年2月11日
ギリシアとロシアの外交官,政治家
1831年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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