日本大百科全書(ニッポニカ) 「カヤン」の意味・わかりやすい解説
カヤン
かやん
Kayan
ボルネオ島のダヤク諸民族の一つ。焼畑陸稲耕作を主生業とし、カヤン、マハカム、レジャン、バラム、カプアス各河川の上流部沿いに、堅牢(けんろう)なロングハウス(高床式長屋)形式の村落を点在させている。推定人口2万7000(1992)。生産や消費の単位は妻方居住的な直系家族であり、ロングハウスはそのような家族の居住アパートメントが数十戸連なったものでもあるが、前面側(川に面した側)には統一感ある廊下がまっすぐに走っており、ここで村の公的集会や儀礼が行われる。たいていロングハウスの中央部分には他より間口の広いアパートメントが数戸あり、これらに住む首長(しゅちょう)階層、そして一般村民階層と若干の奴隷階層の3層からなる世襲階層制度が、かつて成立していた。首長階層は、裁判などを通じた村の社会秩序の維持、村全体の移住や首狩り戦争の統率、他村や政府に対する村民の代表行為、村単位で行う農耕儀礼の監督などを通じて、実際的かつ宗教的に村の繁栄を図る責任を負う一方、奴隷を所有し、一般村民層からも年に数回の賦役を受け、また採集狩猟民プナンとの交易を独占するなど、さまざまな経済的特権ももち、富の蓄積を企てた。また、村の構成家族が村を離脱することは首長階層によって禁止された。このような首長階層のあり方は、奴隷階層・首狩り・交易独占にかかわることを除けば、今日でもほぼあてはまる。行政の末端である村長は村民の同意の下にほぼ例外なく首長階層のなかから選ばれ、これを政府が追認することになっているし、賦役も大半の村でなかば自発的に続けられている。以上のようなカヤン的文化特徴は、彼らがかつてカヤン、マハカム両河川の上流域からボルネオ島中央部の各地に大規模移住し覇権を確立したことを主たる原因として、数多くの民族の間に広まった。とりわけクニャー系、カジャン系の諸村落はカヤン村落と近接して住むようになり、各村落の首長階層の間の通婚によって連帯を強める一方、カヤンを地域の盟主と認めており、カヤン語は地域共通語ともなっている。かつてはダヨンとよばれるシャーマン的司祭を中心に農耕儀礼や病気治療が行われていたが、さまざまな食物禁忌や、凶兆とみなされる鳥や動物との出会いを理由とする労働忌避など、煩瑣(はんさ)なタブーを伴うものでもあった。20世紀なかばにブンガンという改革宗教が広まり、さらにその後にはキリスト教がほぼすべてのカヤンに受容されるに至っている。
[津上 誠]