焼畑(読み)やきはた

精選版 日本国語大辞典 「焼畑」の意味・読み・例文・類語

やき‐はた【焼畑】

〘名〙 (「やきばた」とも) 原始的農耕法の一つ。草地山間の地などで雑草・雑木などを焼き、その焼跡に蕎麦(そば)・稗(ひえ)・麦・粟・大豆などをまきつけて、栽培すること。また、その畑。数年間続けて利用し、地力が衰えたり雑草が旺盛になったりすると放置し、数年あるいは十数年後再び用いる。切替畑薙畑(なぎはた)切畑。やきばたけ。やけばた。やけばたけ。やいばた。《季・春》 〔十巻本和名抄(934頃)〕

やけ‐ばたけ【焼畑】

〘名〙
① =やきはた(焼畑)《季・春》
日照りのため干上がった畑。
※俳諧・鹿島紀行(1687)「いもの葉や月待里の焼ばたけ」
[補注]②の例を「やきばたけ」とする説もある。

やけ‐ばた【焼畑】

〘名〙 =やきはた(焼畑)《季・春》
万代(1248‐49)雑「人の住む里のけしきに成にけり山路の末の賤(しづ)のやけばた〈行尊〉」

やい‐ばた【焼畑】

〘名〙 「やきはた(焼畑)」の変化した語。《季・春》 〔二十巻本和名抄(934頃)〕

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デジタル大辞泉 「焼畑」の意味・読み・例文・類語

やき‐はた【焼(き)畑】

《「やきばた」とも》山林原野伐採してから火をつけて焼き、その灰を肥料として作物を栽培する農法。また、その畑。古くから行われており、数年で地力が消耗すると放置し、10年程で自然が回復すると再び利用する。切り替え畑。「焼き畑農業」
[類語]はたけはた畑地段畑段段畑麦畑桑畑茶畑花畑お花畑菜園果樹園茶園

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百科事典マイペディア 「焼畑」の意味・わかりやすい解説

焼畑【やきはた】

熱帯および温帯において山林,原野を伐採後,焼き払ってその灰をすき込み,数年間無肥料で耕作を続け,地力が消耗すると放棄して地力の自然回復を待ち再び焼き払って耕地とする農法。粗放で生産力は低い。かつては中国,朝鮮火田民),日本,ヨーロッパでも行われていたが,ほとんど消滅した。焼畑による森林の破壊が地球環境問題の一つになっている。
→関連項目切替畑熱帯雨林略奪農法

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「焼畑」の解説

焼畑
やきばた

山の斜面などの木や草を切り払って火をいれ,焼土となった地を整地して作物を作る畑作法。切替畑(きりかえばた)の一種。アラキ・カノ・サス・ナギハタ・キリハタ・ヤブ・コバなどとよばれて全国的だったが,近年ではほとんど行われない。しかし焼畑を基盤にする民俗も認められ,稲作伝来以前からの農法と推定される。山を焼くのは春か夏で,粟・ヒエ・ソバ・大豆・小豆など穀類や豆類を作付けた。大根・カブ・麦・里芋・甘藷を作るところもあり,初年目は粟,2年目は大豆というように,地方ごとに作物の順が決まっている。東北地方の北上山地では10年ほど作り続けるが,通常は5年程度で耕作をやめて山林に戻し植生の回復を待った。

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世界大百科事典 第2版 「焼畑」の意味・わかりやすい解説

やきはた【焼畑】

焼畑農耕とは,熱帯および温帯の森林,原野において,樹林あるいは叢林を伐採・火入れして耕地を造成し,1年ないし数年の短い期間,作物の栽培を行ったのち,耕作を放棄し,通常は一定の休閑期間をへて植生の回復するのをまち,再度その土地を利用する農耕である。かつてFAO(国連食糧農業機関)が発表したところによると,今日地球上で,焼畑に利用されている空間は休閑地も含めると約3600万km2,2億余の人口がそれに依存して生活しているという。

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世界大百科事典内の焼畑の言及

【稲作文化】より

…したがって当面のところは,現にさかんに稲作を行っている上記の諸地域に特徴的な文化を,稲作文化としてとらえるほかはない。
【焼畑陸稲栽培民の文化】
 稲作文化について考える場合には,山地にひろがっている焼畑陸稲栽培民の文化と平地に展開している水田稲作民の文化を区別し,比較検討をくわえながら,それぞれの文化の本質を明らかにするとともに,両者の関係を分析することが必要である。もちろん,一口に焼畑陸稲栽培民の文化(焼畑陸稲栽培文化)といっても,その分布はインド東部から東南アジア大陸部の山地および島嶼(とうしよ)部におよぶ広範なものであるから,簡単に概括することは困難である。…

【火田民】より

…朝鮮の焼畑耕作を行う農民。山間の傾斜地の草木に火を放ちその跡にアワ,ジャガイモ,大豆,ソバ,トウモロコシなどを栽培する。…

【休閑】より

…この三圃式と同様の意味をもつ休閑は歴史的にも地理的にも広く分布している。 現在でも重要なのは焼畑における地力回復のための休閑である。熱帯を中心として,焼畑農法が世界の2億人以上の人々の暮しを支えている。…

【救荒食物】より

…庶民が自主的に備蓄する場合と支配者が制度的に蓄えさせる場合とがある。一般に凶作や飢饉は稲という単一作物を絶対的経済基盤とした社会に起き,非水田地帯,とくに定畑や焼畑地帯には起きにくい。そのことは歴史に記録されている凶作や飢饉が東日本に印象づけられることと関係し,水田稲作農耕を軸に考えれば,十分にうなずくことができよう。…

【木場作】より

…森林を焼いた跡にアワ,ソバ,マメなどを作る焼畑のこと。3~4年耕作すれば放置して他の場所に移動した。…

【サトイモ(里芋)】より

…そのほか盆,八月十五夜などの年中行事をはじめ冠婚葬祭などに,サトイモを供え物にしたり,料理に欠くことのできぬ食料とする地方は多い。関東から西の焼畑地帯では,雑穀とともにサトイモを栽培しており,ゆでたサトイモをつぶして小豆あんをまぶして食べるなど,独特の料理法が発達していて,水田稲作とは異なった文化を構成する要素であったらしい。滋賀県蒲生郡日野町中山では,9月1日に二つの村がサトイモの長さを競う芋くらべ祭がおこなわれている。…

【照葉樹林文化】より

… この文化概念をはじめて提唱した中尾佐助によると,ワラビやクズ,あるいはカシ,トチなどの堅果類を水さらしによりあく抜きする技法,茶の葉を加工して飲用する慣行,繭から糸をひいて絹をつくり,ウルシやその近縁種の樹液を用いて漆器をつくる方法,かんきつとシソ類の栽培と利用,こうじを用いて酒を醸造することなどが,共通の文化要素のおもなものとしてあげられた。さらに照葉樹林帯の文化を特色づけるものにサトイモ,ナガイモなどのイモ類のほか,アワ,ヒエ,キビ,シコクビエ,モロコシ,おかぼなど大量の雑穀類を栽培する焼畑農耕によって,その生活が支えられてきたことがあげられる。また,これらの雑穀類やイネのなかからモチ種を開発し,もち,ちまき,おこわなどのもち性の食品をつくり,それを儀礼食として用いる慣行をこの地帯にひろく流布せしめたことも重要な特色といえる。…

【東南アジア】より

…照葉樹林で覆われた山腹と,水田のみられる谷筋や盆地である。前者は焼畑民の空間であり,後者は水稲耕作民の空間である。焼畑民は乾季の間に森を切り倒し,雨季直前にそれを焼き,その直後そこに播種する。…

【農業】より

…これに対して縄文時代については,直接農業の存在を知らせるものは,弥生時代との接触期の遺跡に籾痕のある土器が出るなどのほか,多くの証拠はない。ただ出土石器の形状から土搔きの道具と推定されるものがあったり,同時代と推定される泥炭層から栽培作物の種子が発見されることから,焼畑的な粗放農業が推定されるにとどまる。 大和朝廷成立以後の正史の類からは,農業政策の動きが知られ,諸記録,編纂物,文芸作品などを総合すると,古代・中世についての農業の姿をほぼ知ることができる。…

【農耕文化】より

…これらの作物は,いずれも種子によらず,根分け,株分け,挿芽などによって繁殖するため栄養繁殖作物(根栽作物)とよばれ,それを主作物として栽培する農耕文化を根栽農耕文化とよぶ。もともと熱帯の森林地帯に起源したこの農耕文化では,森林を伐採・火入れして1~3年間ほど作物をつくり,そのあと耕地を放棄する焼畑が基本的な農耕方式になっている。また,家畜では豚と鶏が飼育される程度で,犂の発達もなく,掘棒が唯一の農耕具をなすにすぎない。…

【畑∥畠】より

…〈畑〉も〈火田〉からつくられた国字である。中世までは常畠である〈畠〉の字と,焼畑をさす〈畑〉の字とはかなり厳密に使いわけられていたが,戦国末期から近世初頭にかけて〈畠〉と〈畑〉の混用が始まり,17世紀の半ばには検地帳類でもほとんど〈畑〉の字ばかりになっていった。
[古代]
 律令用語としては,水稲以外のものをつくるところは〈園地〉〈(その)〉などであり,これと715年(霊亀1)に令外の制として定められた〈陸田〉とが,畠地の公式用語であった。…

【畑作】より

…なお畑作が農業の主体をなすヨーロッパや華北地方での歴史については〈農業〉の項を参照されたい。【山崎 耕宇】
[日本における畑作の歴史]
 日本における畑作の起源は明らかではないが,縄文中期以降,アワ,ヒエなどを焼畑によって栽培したとする説もある。《古事記》《日本書紀》の伝える農作物起源の神話では,麦,アワ,ヒエ,大豆,アズキなどがあり,畑作が行われていたことになるが,しかし律令制時代以降,国への正租は水田の生産物である米が中心で,水田稲作に対し,畑作は副次的な存在であった。…

【米良荘】より

…この地に広く行われる米良神楽は有名。【下村 数馬】
[民俗]
 住民は林業,狩猟のほか行商を営み,焼畑を開いてヒエ,アワ,いも,陸稲などを輪作し自給生活を営んだ。それらに伴う歌謡や祭儀には古代をしのばせる民俗が残存し,ことに焼畑を開く場合に伐採しえない大木の枝を切除する木おろし作業とそれに伴う歌謡はよく知られている。…

【山】より

…【式 正英】
【山と日本人】

[古代,中世]
 古代の山はその大部分が太古そのままの状態にあった。当時の山の民,里の民は首長の共同体支配のもとで,鳥獣の狩猟,草木果実の採取,焼畑などの生業や,他郷との往来のために山へ入り,その生活圏を広げていたが,山はなお神々と祖霊の支配する無主の世界であった。律令国家も〈雑令〉国内条で〈山川藪沢の利は,公私共にせよ〉と規定しただけで,山地は一般に官・民の共同利用に任せ,国家的用途と民業を妨げない範囲で,王臣,社寺,豪民らの私的な占取と用益を認めていた。…

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