日本大百科全書(ニッポニカ) 「カラムジン」の意味・わかりやすい解説
カラムジン
からむじん
Николай Михайлович Карамзин/Nikolay Mihaylovich Karamzin
(1766―1826)
ロシアの作家、歴史家。地方の貴族の出身。モスクワで教育を受け、ノビコフらのフリーメーソンのグループの影響のもとに西欧の宗教・道徳的著作やシェークスピア、レッシングの作品を翻訳するかたわら、詩や小説を書き始めた。1789年に西欧へ旅行し、フランス革命を目の当たりにみて衝撃を受ける。帰国後、月刊雑誌『モスクワ・ジャーナル』を創刊して、自らの旅の見聞と思索をつづった『ロシア人旅行者の手紙』(1791~92)や、ロシア主情主義(センチメンタリズム)文学の代表作となる小説『哀れなリーザ』(1792)、『貴族の娘ナターリヤ』(1792)などを発表した。1802年から刊行した雑誌『ヨーロッパ報知』には『女代官マルファ』(1803)を掲載したが、これはロシア歴史小説の先駆的作品である。カラムジンの作品は、理性偏重の古典主義に対して個性の尊重と感情の解放を目ざす、主情主義とよばれる新しい傾向をロシア文学のなかに生み出した。繊細な感受性と人間的情熱を表現するために口語的要素を取り入れた新鮮な文体を編み出した点、フランス語などからの借用や新しい造語をふんだんに用いた点にその特徴があった。これに対しては古典主義的伝統を守ろうとする保守派が「ロシア語愛好者談話会」を結成したが、カラムジンの文章語改革を支持するグループは「アルザマス会」をつくってこれに対抗した。03年皇帝(ツァーリ)から「歴史編纂(へんさん)官」の称号と特別の年金を授けられたカラムジンは、その晩年を大著『ロシア国史』全12巻(1816~29)の執筆に没頭した。この歴史は華麗な文体で広く読まれたが、古文献を利用した史料的側面を除いては低い学問的評価が与えられている。専制政治と農奴制を擁護する保守的な思想は、11年皇帝に提出された覚書『古きロシアと新しきロシアについて』のなかに集約的に表現されている。
[中村喜和]