イタリア,サルデーニャ島南部にあり,サルデーニャ州の州都で,同名県の県都。人口16万0391(2005)。同島第1の商業港で,本土のチビタベッキア,ナポリなどに定期船が就航。セメント工業,製塩業,漁業が行われる。おそらくフェニキアの都市として建設され,カルタゴ領となって,小麦,家畜,塩などの輸出港として繁栄。前238年ころ,サルデーニャ島はローマの属州となり,カリアリはその主都となった。当時はカラリスCaralisと呼ばれ,農業の振興と鉱山の開発が行われ,帝政期には各種の建物が建設されて,ラテン詩人クラウディアヌスにその繁栄をうたわれた。現在の市街の西部と低地部に円形劇場や建物の遺跡,墓地などが残っている。ローマ帝国崩壊後はバンダル族,ビザンティン,イスラム勢力の攻撃を受けるが,カリアリは自由都市の地位を守った。のち〈海の共和国〉ジェノバとピサの争奪地となり,ピサはこの町を要塞化した。1305年,07年に建てられた二つの塔が残っている。1326年からアラゴン王家の領土となり,1606年にカリアリ大学が創設され,76年にはサンタ・チェチリア聖堂がバロック様式で再建された。のちオーストリアの支配を経て,1718年サボイア家の領土となり,1815年サルデーニャ王国に編入された。サルデーニャ島の軍司令部があったため,第2次大戦では大規模な爆撃を被った。考古学博物館がある。
執筆者:望月 一史
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
イタリア、サルデーニャ島南部にある都市で、サルデーニャ自治州の州都。人口15万8351(2001国勢調査速報値)。陸海空の交通の要地である。紀元前9世紀にフェニキア人の市場町として発足。のちローマ時代には大いに栄えた。その後盛衰の歴史を経たが、つねに島の拠点都市の座を占める。第二次世界大戦中、潜水艦の基地があったため、激しい爆撃を受けた。産業としては、陶器やじゅうたんなどの手工業、農畜産物の加工、製塩業があるほか、カリアリ港は商業港として重要な役割を果たしている。戦後、近郊にイタリア有数の製油所が建設され、それを基礎に石油化学工業が発展したが、それが地域経済の発展に与えた影響はかならずしも大きくはない。
[堺 憲一]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
…英語ではサルディニアSardiniaと呼び,面積2万4090km2,人口166万(1994)。主都はカリアリ。イタリアの各州はそれぞれ自然条件,歴史的背景の違いによって地方色が強く,第2次大戦後の共和国憲法のもとで,かなりの程度の州自治が実現されているが,サルデーニャはその島嶼としての孤立性と14世紀から4世紀間にわたってスペイン治下にあったという歴史的事情から,イタリアの他の州とはきわめて異なる社会・文化をもっている。…
※「カリアリ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新